3章:次世代起業家における自己変容とは(自我)

執筆者: 沢津橋紀洋(メインライター)、松田竹生(相談役)、日比朝子(インタビュアー、ライター)、村西純奈(インタビュアー、ライター)、田中直輝(インタビュアー、ライター)、永見琉輝(ライター)、吉良慶信(ライター)、尾島恵太(インタビュアー)、渡辺康彦(インタビュアー)、山田晃義(インタビュイー)、柳沢美竣(インタビュイー)

3章のキーワード

用語 意味
自我 意識(今気づいている自分)の中心。人間の意味構築活動を想定する意識構造のこと。意味構築とは、自分の人生あるいは仕事に独自の意味を築き上げる方法である。この本では、ロバート・キーガンやオットー・ラスキーらの定義を参照している。
自己 意識と無意識を合わせた心全体の中心。心の中心だけではなく、心全体そのものを指すこともある。
自己変容 自己の意識が広がり、能力が向上していくこと。包容力(はじめのキーワード集参照)が変化すること。
成人発達理論 発達心理学の中でも、成人以降の発達を中心に研究されている理論、有名な研究者として、ロバート・キーガンやスザンヌ・クック=グロイターがいる。
自我発達・自我次元 自分自身や他人の考えについて、理解し受容できる範囲が広がること。また、その範囲が相対的にどの段階にあるかを示す言葉。
人称視点 外部の情報を取り入れる際にどの立場に立つかを示す言葉。例えば、1人称視点であれば、利己的な目線から、3人称視点であれば、客観的な視点から自己を捉えることが可能であるということ。
メタ認知 客観的に自分自身の行動や感情を捉え、自身の囚われに気づける状態のこと。例えば、自身が下した判断に無意識の差別が含まれていた場合に、差別に自力で気づける状態のこと。
時間軸 一般的には、ある状態、事柄を維持する時間の範囲のこと。赤ちゃんは時間軸が数秒しかなく、発達を経て数年後、数十年後を考えることができるようになる。Reapraでは、時間軸の長短によって扱える時間の長短が変化すると考えている。
シャドー 高次ステージの自我段階にたどり着いたにも関わらず、「中毒やアレルギー」として保持したままになってしまっている低次の自我段階における発達の課題。前述の自我の囚われのうち、負の影響を持つもの。
学習捨象 WIP

はじめに

第3章においては、社会と共創する起業家にとって必要な「自己変容」について論じていく。社会と共創しながら複雑な市場=PBFにおいて新産業を創出していくためには、起業家CEO自身がしなやかに「自己」を変えていくことが必要となる。敢えてこの場では端的に説明すると、Reapraでは、自己を変えることによって捉えられる複雑性が増し、自分の見える範囲 (Reapraではユニバースともいう) を拡大し続けることができると考えているからである。

この背景には、足元では小さく複雑だが将来伸びゆく領域であるPBFにおいては、起業時点では将来その領域にどのようなニーズが発生するかが不透明で、どのようにニーズを満たす(組織および自己の)能力を獲得していくかも予想することが難しいことがある。このような領域に対する理解を深めながら同時に事業を推進していくためには、その時々での自己にとって嫌だなと思うことを小さく実践することや、学びたくないと感じるようなことを学ぶことに、意図的に自分を持っていく必要があると考えている。そうでないと、人は自分の見たいものしか見ず、その時々の自己にとって心地よいことだけを実践し、学びたいものを学んでいくため、ユニバースを拡大することにつながらないからである。だからこそ、自分のコンフォートゾーンを離れて自己にとっての不透明な学びを続けるためには、その阻害する要因ともなる「自己の囚われ」を詳細に理解し、その囚われの限界を乗り越え続ける必要がある。

なお、本章はその大部分を学術知見に寄っている。これは、3章のメインライターである沢津橋が、Reapraに入社後、大学院時代に触れていた理論を引用して、Reapraでの研究実践において多いに参照し、一般化を進めてきたものである。成人発達理論の研究や実践を進める方々との対話や協働が進み、今日に至る。本章においては以上のような経緯上、成人発達理論そのものの詳細な理論理解を重視し、ケーススタディーを用いつつも、理論的な説明に記述の多くが割かれていることをご理解いただいた上で、読み進めていただけたら幸いである。

具体的に本章では、最初に、なぜPBFにおける産業創出のため、および社会と共創するマスタリーのために自己の自我の変容が必要なのか、その背景を説明する。次に、自己変容のプロセスを理解するために有用である、欧米で研究が進んでいる成人発達理論の概要について紹介する。その後、自我発達段階それぞれの特徴と、Reapraとして自我次元「ステージ5」を目指すその必要性を紹介し、最後に、変容のための実質的なメソッドと、実際のケーススタディーを記載する。

3-1:PBFにおける産業創出のため、社会と共創する熟達のために自我の発達が必要な背景

Reapraにおいては「自我」を、以下のように定義している。

自我:意識(今気づいている自分)の中心 1。人間の意味構築活動を規定する意識構造のこと。意味構築とは、自分の人生あるいは仕事に独自の意味を築き上げる方法。 (ロバート・キーガンやオットー・ラスキー 2 らの定義を参照)
自己:意識と無意識を合わせた心全体の中心。心の中心だけではなく、心全体そのものを指すこともある *1。

1 http://rinnsyou.com/archives/317 よりユング心理学の定義を活用 2 ロバート・キーガン、オットー・ラスキーについては後述

この「自我」があってこそ、私達は日常生活/社会生活/職業生活を営むことができる。昨日の自分と今日の自分が同じ自分であると認識できたり、昨日の生活(仕事)と今日の生活(仕事)が続いていると認識できたりするような、生活に連続性/一貫性をもたせることも、自我の働きであると言える。この自我に異常を来すと(統合失調症など)、社会生活/職業生活を送ることが難しくなりうる。生きる上での、自我の役割とは、一貫性のある、定常的な意味構築をすることである。

しかし、まさにこの一貫性や定常性が、社会と共創するマスタリーのためにはネガティブに作用する可能性がある。社会と共創するマスタリーのためには、社会を広く包括する学びが必要であることは、第一章で確認してきた。そのような学びをしていくためには、常に、自分自身の学ぶ範囲が狭くなっていないか、つまり自我の影響でブラインドスポットができて学習捨象していないかを自覚的に探求し続ける必要がある(継続的な自己探求)。

自我があるからこそ、その人固有の人生の意味付けが生まれ、人生を通じての学習テーマの設定も可能なのであるが(Life Mission)、一方でその負の側面として学習捨象も私達人間には常に発生しているのである。社会と共創するマスタリーを歩む上で、範囲を広げ続けて学習するためには、自分の自我について理解し、現在の自分の自我では捉えられない/捨象してしまう領域にまで、継続的に学習を波及させていく自覚的な営みが必要とされている。

3-2:産業創造のための社会と共創するゼロイチ起業家における、次世代産業マーケットと自己変容の関係性

前節では、社会と共創するマスタリーを軸に、自我の観点から自己変容が重要である背景をのべた。本節では、社会と共創するマスタリーを歩む者にとって「社会と共創する」ために自己変容が重要であることを確認していく。

ここで、改めて「次世代産業創造」の定義を振り返ると、Reapraが対象としている産業は、「複雑性が故にいまは小さいけれども将来は大きくなる」領域である。言い換えると、その成長の時間軸は数年単位ではなく、数十年や次世代にも渡って伸び続けることを意味している。つまり、次世代起業家自身は、世代を跨ぐような産業を創造することが可能な領域で社会と共創することが求められるとも言える。

なぜ「次世代産業創造」において「社会と共創する」ことが求められるのか、「共創」の意味に触れながら理由について触れていきたい。「共創」とは一般的に「異なる立場や業種の人・団体が協力して、新たな商品・サービスや価値観などをつくり出すこと」と定義される。また、Reapraにおいてもこれと同様の定義で「共創」の概念が扱われている。つまり、社会において拡張性のある領域で事業をおこなうことは、社会との接点が増加していくことに等しく、必然的に社会と共創することが求められると考えられる。

しかしながら、社会や他者と接点を増加させていくに際して、異なる意見や考え、価値観に対し、感情として受け入れられなかったり配慮できなかったりすることもある。共創していくということを概念上は理解し、異なる意見を持つ社会や他者に共感してそこに進もうと思ったとしても、自我の限界から現実的には難しいケースが多く存在している。例えば、実際の産業創出の局面において、様々なステークホルダーを統合して共創していく時に、インセンティブがバラバラなだけではなく、そもそも課題認識がバラバラであったり、想定する時間軸がバラバラであったりする事態が散見される。具体的には、ある社会課題に対して、政府やNPO、大手企業などのステークホルダーとプロジェクトを組み共創する場合、それぞれの組織が持つ目的や参加の意図がバラバラであったり、課題認識がバラバラであったり、プロジェクトに想定する時間軸がバラバラであったりすることは多々ある。このような、バラバラな事象を統合する力が、社会と共創する起業家には求められる。

このことは、次世代起業家が「自我の包容力」を増していくために自己変容することの報酬を暗黙的に示唆している。「自我の包容力」とは、欧米で一定の研究蓄積が進んでいる成人発達理論 (Adult Development Theory : ADT) によれば、異なる他者や考え方をどれほど受け入れ、統合できるかを指す。換言すれば、「社会と共創すること」に動機付いている次世代起業家にとっては、「自我の包容力の拡大」が幅広い他者と共創し、ひいては社会と共創していくための大きな手段のひとつになっている。自身の「器」と「スキル」を向上させながら、学びの対象範囲を広げ続け、他者を巻き込み、社会や他者、その他多くの変数を「包容していく行為」が重要である。

科学的な研究の結果、ここに段階を見出した一連の研究群が、自我発達理論(Ego Development Theory : EDT)である。(次節以降で詳述) この自我発達理論によれば、成人以降も自我の発達は続く。ことに成人以降の自我発達は「包容力の拡大」「人間としての器の拡大」のプロセスであるとも言われている。自我が発達していくと、自己が捉えられる要素はより複雑に、より幅広く、より長期になっていく。実際に、自我の包容力の拡大のなかで、自身が認知できる時間軸も長くなっていくことが科学的にあきらかにされている。「世代を跨いだ社会課題」の解決に挑む人にとって、世代を越えた時間軸の長さの認知は重要であり、その点からしても自我の包容力の拡大に寄与する、自己変容に取り組む必然性がある。

先に触れた、認識や価値観がバラバラなステークホルダーを統合していくために、関わるステークホルダーの自我発達段階をどう認識していくかが、そのバラバラなものを統合する際の戦略立案やコミュニケーションポリシーのために重要となる。このような場合に、自我発達理論を活用して、「ステークホルダーの自我発達における特徴」と「共創を仕掛ける主体者自身の自我発達における特徴」の両方を理解することで、効果的に共創することが可能になる。これは社会と共創する起業家に大きな可能性をもたらすだろう。

当然のことながら、序章でも触れたように、現代は過去に比べて相対的に環境変化のスピードが早く、その変数も複雑さを増しているといえるし、今後もその傾向は続くと思われる。このように複雑な環境変化の中で、起業家自身が社会と共創しながら、しなやかに自己を変容し続けることを意図しなければ、産業創造の可能性も有意に下がってしまう危険性があると考えられる。さらに言えば、単純な自己成長や変化ではなく、「自我の包容力を向上させ続けること(結果として、社会と共創しながら熟達していく可能性を高める行為)」を意図して取り組んでいくことが重要である。

3-3:成人発達理論導入

以上の基本骨子を学問的にレファレンスしていこう。Reapraでは、発達心理学の一部である「成人発達理論(Adult Development Theory : ADT)」を参照しながら、起業家の自己変容を支援してきた。 一般に、人間はその誕生から成人になるまで、各年代で様々な発達課題に向き合い、乗り越えていく。原初的には、「寝返り」から始まり、「おしゃぶり」を放棄すること、流動食から卒業すること、立つこと歩くこと、おむつが取れることといった乳児としての発達課題から始まり、公園で友達と遊ぶこと、幼稚園/保育園で母親から離れること、小学校入学で決められたルールを守ることなどである。中学生には中学生の、高校生、大学生にもそれぞれ発達の課題がある。一方で成人以降は、社会の中で働くことや、子供を育てることといった課題があるものの、一般に、発達や成長のレールが不明確になる。実際に、発達心理学においても、1980年代以前までは、その研究知見のほとんどが乳児期から思春期の課題に集中しており、発達心理学の概説本においても、中年期と老年期はそれほど知見がなく、駆け足で内容が終わってしまうことが普通である。 しかし、成人以降にも、乳児期や思春期と同じように、細かな発達の課題は見いだせるのである。その点について研究された知見群が「成人発達理論」である。また、次節でも詳しく述べるが、Reapraにおいては成人発達理論のうち特に自我の発達に注目する自我発達理論も活用している。

3-3-1:「垂直発達」の観点 自我発達理論概要

成人発達理論は、欧米において研究と実践が進んでおり、アメリカのFBIでは、諜報員のトレーニングに活用されていることが知られている。 その成人発達理論の特筆すべき点は、成人としての成長・発達の種類を、大きく2つに分けたことである。

成人の成長として、一般的にイメージされるのは、、新たなスキルの取得や知識の習得といった、できることを増やす類のものである。しかし、成人発達理論の観点からすると、その成長は、人としての成長の2側面のうちの一つに過ぎないのである。

成人発達理論は、成長を、「水平的・拡張的」な成長である「水平発達」と、「垂直的・段階的」な成長である「垂直発達」の2つに分類する。この分類から見ると、上記のスキルや知識の習得といった成長は、「水平発達」に分類される。この「水平発達」には、人間としての器を広げたり、世界の見方を規定する個々人の心的モデルを変容させたりすることは含まれず、そういった成長は「垂直発達」に分類される。そして、この「垂直発達」に注目した理論が自我発達理論 (Ego Development Theory)である。「垂直発達」=自我発達理論という視点では、心的モデルそれ自体が、時とともにどのような段階を踏んで発達していくのかということが記述される。この垂直次元は、人間の存在の基盤の力そのもののことを指す。

くどいようだが、上記のように成人の成長においては、「できること」「知っていること」を増やす水平発達のアプローチと、それらの根底にある自我そのものを変容させる垂直発達のアプローチの、2つがあるのである。

  • 水平的な発達領域は行動的なものであり、それはトレーニングや教育によって鍛錬することができる。
  • 垂直的な発達領域は発達的なものであり、それはパフォーマンスやスキルというよりも世界観と密接に関わったものである。

前述したとおり、Reapraがアプローチしようとしているのは、不確実性の高い領域における起業・経営である。そこでは、どのようなスキルセットが必要かどうかが事前には不明確である。そのような領域において熟達しようとすると、「自分は何をすることができるのか」という「行動とスキル」の水平発達のみにフォーカスすることでは不十分である。行動やスキルを生み出している私たちの自我そのものを考慮し発達させていくことが、答えのない起業・経営において重要となる。

また、これら2つの発達軸は、それぞれが相互に関係しており、垂直発達(自我の次元)は水平発達(能力・スキル)の基盤を構築する。それは、例えば、PCの比喩で言うと、OS(オペレーションシステム)とアプリケーションの関係に似ている。垂直発達である自我の次元がOSに相当する。自我の次元(OS)そのものがアップデートされれば、その上にインストールできるスキル(アプリケーション)の量と質が向上するのである。

筆者作成

次節以降では、成人発達理論の諸理論を概観し、発達の段階について触れていく。

3-4:多様な発達段階の枠組みと共通項

成人発達理論における自我発達の段階について話をする前に、成人発達理論の多様な論者による発達段階の枠組みと、共通項について本節で整理していく。そもそも「発達」という言葉が理論の名前に入っているが故に、この理論は誤解を招きやすい。よく陥りがちなのが、成人発達理論を万能であると錯覚し、他者を評価することに活用したり、発達段階が高いほど人材価値があると考えたりすることである。成人発達理論自体は、通常であれば計測しにくい自我の段階を数値として可視化するという観点において有用であり、Reapraでも個々人の発達の補助線として活用しているが、発達段階をあげることは個々人によって必要な期間も内容も異なるため、扱いには相当な注意が必要である。

そのため、本節では、「成人発達理論」を学ぶ上で、注意が必要な6つのポイントを予め確認しておく。

第一に確認したいのは、成人発達理論の論者がそれぞれの観点から分析した発達の段階を整理した時に、それぞれの理論がどう分布し、関係しているのかということだ。その整理のために参考になる図が下記である。各ステージの特徴やその数字化や、ネーミングなどは、論者間で微妙に差異はあるものの、ある程度相関性があることが見て取れる。


出典:ケン・ウィルバー/松永太郎(訳) 『インテグラル・スピリチュアリティ』 (春秋社,2008/02) p102

この図自体は、成人発達理論の体系化に大きな役割を果たしたケン・ウィルバー(以下、ウィルバー)による整理を引用してある。ウィルバーの自我段階のネーミングは、図でいうと1番左のレインボーカラーのネーミングとなる。彼による段階の整理を軸に、種々の論者の自我段階が整理されてある。 図の中には、様々な論者が整理されているが、ここでは特にReapraが活用することの多いキーガンとウィルバーの段階の関係性について注目したい。例えば、キーガンにおける「第4等級」(ステージ4)はウィルバーでいうと「オレンジ」段階に当たる。

なお、ウィルバーのネーミングのコンセプトは、自然における赤外線から紫外線にいたる光のスペクトラムから取られており、「本来、段階の間で優劣はなく、等しく平等で価値のあるものである」という彼のメッセージがこのネーミングに込められている。ウィルバーは、昨今流行ったフレドリック・ラルーによる『ティール組織』の背骨となる理論を構築した論者でもあり、『ティール組織』の「ティール」はウィルバーの自我発達段階の段階名に由来している。ウィルバーの自我発達理論から、著者のラルーが「組織にも段階がある」という仮説を持ち、記述していったのが『ティール組織』である。

自我の発達段階を研究したのは、ウィルバーだけではない。ウィルバーと関係性がない状態で研究を進めた、キーガンも、日本のビジネス界では一定の知名度がある(『なぜ弱さを見せ合える組織は強いのか』など)。余談ではあるが、別々に研究をしていたウィルバーとキーガンがほぼ同じ枠組みで自我発達の段階を論じていたことに双方が驚いたというエピソードも伝えられている。

このように、自我発達段階を論じる様々な論者の間で、次元ごとのネーミングや次元間の差異のとり方、第2層や第3層のような上位ステージの扱い方で異なりがあるものの、根底の次元分けの世界観は一定の同一性が見られる。

Reapraにおいては、キーガンが提示したステージ1~5の自我発達段階、それをさらに0.5刻みに切って特徴をより詳細に定義したスザンヌ・クック=グロイターの自我発達段階の2つの段階整理を中心に活用している。 また、キーガンの弟子筋のオットー・ラスキー、オットー・ラスキーに師事した加藤洋平、またケン・ウィルバー、ケン・ウィルバーに師事した鈴木規夫らの議論も参照しながら発達段階を丁寧に理解する努力をしている。 本章の以下においては、Reapraが研究実践の過程で取り入れた種々の議論を整理していくが、より自分で直接的に学習を進めてみたいという方向けの推薦図書もリストしてAppendixに加えておくので、ご興味ある方はぜひ探索されたい。(推薦図書リスト

本節以下においては、様々な論者が明らかにした自我の発達の特徴を、5つの観点から確認していく。

3-4-1:発達とは自己中心性の減少である

発達とは自己中心性の減少である、と聞くと、思いやりのある人間になることだと思う方もいるかもしれないが、細かくはそうではない。ここで自己中心性について端的に述べている、 ハーバード大学の発達心理学者であるハワード・ガードナーの文章を引用したい。

幼い子どもは、全く自己中心的であるーーしかしこれは、子どもが利己的に自分自身のことだけを考えているという意味ではなく、その逆で、自分自身のことを考えられないということなのだ。こうした子どもはまだ、自分という存在を、世界の他の部分と区別して捉えることができない。自分自身を、他者や事物から切り離して考えることができないのである。

そのため、自分の感じている痛みや快感は他の人も感じていると思っており、モゴモゴと話すだけでも相手には必ず伝わると思っており、他の人もみな自分と同じ見方をもっていると思っており、さらには、動物や植物にも自分と同じ意識があると思っているのだ。かくれんぼをすれば、他の人からよく見える場所に隠れるだろう。なぜなら、自己中心性が強いために、他の人には自分の場所が見えているということがわからないからである。人間の発達とは、全体的な方向性としては、自己中心性が次第に減少していくことだと考えられるのである。

このように「自己中心性」とは、普段活用する意味と違い、自分 = 世界という見方で世界を見ることを指しており、その減少というのは、他者は他者の視点や背景を持っているということに対して認識できるようになり、多様性を認識できるようになるというのが、自己中心性の減少なのである。

発達においては基本的に、自己中心性の減少と意識の拡大が起こる。言い換えれば、発達が進むにつれて、それまで意識されていなかったさまざまな人々、さまざまな場所、さまざまな物事のことを考慮に入れて、それらを気づかえるようになるのである。これが、自己と異なる他者を受け入れ、発達を伴走できる「包容力」につながっていくメカニズムである。

3-4-2:自我の意識の発達は直線的・連続的に起きるのではなく、段階的・非連続的に起きる

3-2-1で見てきたように、成人の発達で一般的にイメージされるのは、水平的で拡張的なものである。人々は、新たな技術、新たな知識、そして知識を体系づける新たな方法論を学んでいくが、彼らの位置する段階すなわち世界に関する心的モデル(mentalmodel)は同じままである。水平的領域の発達の過程は、多少の波はあれど(ミクロに見ればプラトーはあれど)、基本的には時間を投下した分だけ発達していく。一方、垂直的領域の発達はまさに「段階」という言葉に示されているように、階段(はしご)を登るかのごとく、非連続的な動きである。時間を投下したとしても、自分が前進しているのかしていないのかを知ることが難しい。しかし、その変化はラディカルであり、革命的であるとも言える。

そのため伴走支援者は、支援対象者が非連続的な変化に至るまでに忍耐強くあるように伴走する技術が求められる。自我の変容にまつわる詳細な知識を持つことが有用なのはそのためである。

3-4-3:過去のステージを、含んで超える

自我の発達段階は、一方で、階段のように間をスキップすることができない。段階2を経ることなしに、人は段階3に到達することはできない。またそれぞれの新たな段階は、以前の段階を含んでいると同時に、新たなものを付け加えているという意味で、「含んで超える」と言われている。 そのプロセスは、「拡大していくらせん」にも喩えられる(英語で自我発達のモデルのことを、「スパイラル・ダイナミクス」と呼んでいる)。それぞれの新たな段階は、以前の段階を部分集合として含む。それぞれの新たな段階は、それ自身のなかで一貫性をもつ新たな意味体系であると同時に、より大きくて複雑な意味体系の一部なのである。

これを換言すると、発達とは、前の段階の自我を包み込むことなのである。逆説的ではあるが、自分の自我を包み込む範囲が広がるほど、他者を包容できる範囲も広がっていく。それゆえに、それぞれの段階は、前の段階よりも包括的で、インクルーシブで、統合的である。次の段階は、前の段階よりも、誰かを周縁化したり、排除したり、抑圧したりすることが少ないのである。これが、「含んで超える」である。自らの偏狭さを超えて他者を含むのである。さらに進んで言うならば、発達のスパイラルそのものは、自然界におけるほとんどの成長プロセスと同じく、入れ子状の階層、引き続き成長型の階層構造をなしている。

上記のプロセスがうまくいかないことを、ウィルバーは2パターンに分けて論じている。「中毒」か「アレルギー」である。 中毒とは、以前のステージを「越えられない」ことであり、段階への固着が強固に残ることである。 アレルギーとは、以前のステージを「含めない」ことであり、前の段階への拒絶反応が起き、前の段階の意識が可能にする行動や思考を拒絶する。このように、発達のプロセスにおける様々な事象から、含めない、越えられないことが起こりうる。例えば、ステージ2をうまく「越えられなかった」人は、自分の欲求を満たすための道具として他者を活用する「道具主義段階」の意識に囚われるだろう(ステージ2への中毒)。また、ステージ3をうまく「含めなかった」人は、仲間との協働や、一体感を感じることが難しいだろう(ステージ3へのアレルギー)。 Reapraでは、関係者の発達段階をキーガンのSOIインタビューという手法を用いてアセスメントしているが、そのアセスメントによって可視化された段階が高次であろうと、低次ステージにおける「中毒やアレルギー」は保持したままでありうる。とはいえ、特定の段階において「中毒やアレルギー」持つことが、悪いことではなく、ほとんどの人が多かれ少なかれ「中毒やアレルギー」を持っているとも考えれる。上記のような「発達の課題」のことをシャドーと呼ぶ。第4章で述べるiFDは、個人が発達段階を登る中で含んで超えられなかった部分を探索することを、その1つの役割としている。

出典:ケン・ウィルバー/加藤洋平(訳)/門林奨(訳) 『インテグラル理論 多様で複雑な世界を読み解く新次元の成長モデル』 (日本能率協会マネジメントセンター,2019/06) p48

3-4-4:らせん状の比喩が意味するもの

心の発達は「らせん状」とも比喩されることを前節で確認したが、その比喩モデルによって、さらにの意味するところは大きく以下の2点である。 1つめは、心の発達が2つの軸を揺れ動くものだということ(上記のらせん図に、左右の2軸があることに注目されたい)。生涯を通じて、人は(1)自立した自己を確立する必要性と(2)集団に帰属する必要性という二つの矛盾する傾向と付き合う必要がある。心の発達過程において、私たちは振幅運動かのごとくそのどちらか一方に影響を強く受ける。

キーガンも述べているとおり、人間は「自分軸」と「他人軸」の間を揺れ動き、両者の葛藤に常にさらされている。(他人軸のあり方は、発達段階ごとに大きく変化するが、ここでは分かりやすさを重視して「他人軸」と表現する。詳細は3-7に記載するが、例えば、発達段階3が他者や社会の規範や基準を重視してそれに従うのに対して、発達段階5では自分自身の基準を持ちつつも他者の中にある多様な基準をも統合していく。これらの両方を「他人軸」と表現しているのは多少の乱暴さがある。一方で、発達段階5は自分自身の基準を構築しそれが正しいものと考える発達段階4よりも相対的に他者の存在を前提に考えていることから「他人軸」側に軸足があると考えられる。)この二つの極をどのよう統合するか、そのバランスのさせ方に自我の段階ごとの特徴が出る。起業家もこの自分軸と他人軸をどうバランスしていくかが経営上の課題になるがゆえに、その理解も本章で深めていればと思う。支援者としても、支援対象者の段階に応じて、自分軸に向けて強くガイドしていくのか、他人軸に向けて強くガイドしていくのかを使い分けると良い。例えば発達段階が3から4に向けた途上にいる人に対しては、自分軸を強く促すべきである。一方で発達段階4でしばらく留まってしまっている人に対しては、他人軸を強く促すべきである。

またらせんの比喩の意味の2つめは、自我は次元を上げるごとにその器の大きさが増していくということである。上位ステージに行くほど、らせんの膨らみが大きくなっていくことが、それを示唆している。段階が上がれば上がるほど、上記でも述べているように、Reapraではこれを「包容力の拡大」と捉え、PBFにおける産業創造のために大変重要だと考えている。

出典:オットー・ラスキー/加藤洋平(訳) 『心の隠された領域の測定 成人以降の心の発達理論と測定方法』 (IDM出版,2016/10) p24

3-4-5:ステージの限界

Reapraにおいて、自我段階のステージは5を上限として支援する方針を持っている。その理由は以下の2つである。1つめはそもそも、発達段階5以上の段階においては、そのサンプルが少なすぎて実証的なデータを得ることが極めて困難であるという、科学における限界があるからである。5以上のアセスメント方法に定かなものがまだないため、客観的・科学的に捉えることの困難さがある。グロイターなど一部研究者のモデルでは、5を越えたステージについて研究があるが、現状の大勢では、5以上は同義なものとして扱ってよいと加藤洋平氏も述べている。

2つめは、ビジネスの場におけるニーズである。ステージ6は瞑想であったりスピリチュアリティーであったりと、合理性や意識を越えたものへのアクセスが前提となるとも言われており、産業創造を目的とした営みにおいては、必ずしも捉える蓋然性が高くなく、再現性も高くない。 以上により、Reapraにおいてはステージ5を上限および目標として、変容の伴走支援をするポリシーを有している。

出典:スザンヌ・クック=グロイター/門林奨(訳)「自我の発達:包容力を増してゆく9つの段階」(2018) p57

*表右側のビル・トーバートという人物も、自我段階と企業活動の組み合わせの研究を進めた研究者で、彼の執筆した『行動探求』という書籍は、初学者にもわかりやすく各段階の行動特性と企業での活動の関連性を記述しており、お勧めである。

3-5:各発達段階概要 ロバート・キーガン編

自我次元の基準を一言でまとめるなら、キーガンの言葉を借りれば「意識において、内省の対象にできる範囲」である。Reapraが導入している自我発達次元アセスメントであるロバート・キーガンの「主体・客体関係」の測定では、個人のその内省の対象範囲を測定している(Appendix参照)。 前提として、何度も言及してはいるが、発達段階とは、上だから優れている、下だから劣っていると言った優劣を決めるものではないことに改めて注意して読んで欲しい。

自我の発達の測定とは、スナップショットを撮影するかのごとくある一時点を切り取って観察すれば済むものではない。成人の心の発達は何十年もかけて緩やかに発達していくものであり、多くの人にはそれが「個性」や「性格」となって見える。発達論に精通している人にはそれらを発達段階の型に当てはめて考えることができ、長大な時間をかけて行われる目には見えないパターン(発達論に精通していない者には見えないパターン)として認識できる。例えば自分勝手なように振る舞う人を目にすれば、発達論に精通しているものからすると(前後の行動や環境など考慮すべき要素は多いものの)発達段階2または4であると仮説を立てられる。これが自我の発達構造なのである。

また、3-1で自我を「人間の意味構築活動を規定する意識構造のこと」と定義したことからも分かるように、 発達段階の違いとは、意味構築活動の違いなのである。意味構築活動とは、人々が自分の発達段階に合わせて、自分の人生あるいは仕事に独自の意味を築き上げる方法のことであり、キーガンは人間であることと意味構築者であることは同じ意味であると述べている。Reapraでは、社会と共創するマスタリーを歩む上で、より多くの社会及び他者と共創していくためには、以下で述べる発達段階5の意識構造が有用であると考えている。(この点については後ほど詳述する)。発達段階5に到達するためには、その過程における各発達段階についての理解を深め、適切な実践をすると共に適切な支援を得ることがより効果的であると考える。

筆者作成

考慮する発達段階の範囲に関しては、キーガンが整理した上記の図においては(この図は要差し替え)、ステージ2から記述されている。ステージ2は、「道具主義段階」と呼ばれ、自分自身の欲求や願望に支配されている段階と言われる。多くの人が幼少期から青年期にこのステージを経験し、社会人になる頃にはステージ3に到達している。一般的に、会社で求められる、日常の業務オペレーションや守るべき当然の社内ルール、社会人マナーを体現するには、このステージ3が必要だと述べられている。ステージ3はいわゆる中学高校で求められるような、学業に必要な行為態度を養うなかで育まれる意識構造である。つまり、ステージ3は、企業で働くのに必要な自我意識の段階ともいえる。キーガンは、企業で働く人への支援を目的として書籍を執筆し、活動しているため、彼の議論のスコープは3からの議論が中心となっている。Reapraにおいても、産業創造の文脈で自我発達理論を参照しているため、キーガンに準じ、メインの議論の範囲をステージ3から5としている。ただし後述するように、高次ステージに達していても、心の一部が低次ステージに残存する可能性がある(シャドー)ため、ステージ2の特徴は理解しておくことが重要である。

キーガンとグロイターの各段階の詳細を後ほど記述するが、まずはステージごとのおおまかな特徴を理解するために、ロバート・キーガンのモデルを概観しよう。各段階の詳細が非常に長くなってしまったので、ご自身がキーガンのモデル概観の中で該当すると感じる段階を、より深く読み進めることをお勧めする。

発達段階2は、上述の通り「道具主義的段階」と呼ばれ、「自分」軸が強い段階である。特徴として、他者の内面領域(感情や思考)に関する視点を取ることかができず自分の欲求や願望に支配されている。そのため、衝動的な言動が多く見られる。物事を0か100かで考える傾向があり、他者の発言を言葉のままに受け取るため、言葉の裏に隠された心理を読み取ることに難しさがある。この段階において、自分の欲求や願望を満たせないことは「自己の喪失」と同義である。発達段階3へ向けて、自己は徐々に他者の感情や思考に敏感になり、最終的には他者の感情や思考を自分のものとみなすようになる。 (※この段階は資料が少ないため、詳細の記載なし)

発達段階3を、「環境依存段階」と呼ぶ。この段階では、他者軸が強く、他者からどのように見られるかといった他者の視点を理解できる。自己と自分の欲求を切り離すことができるため、自分の欲求や願望をコントロールできる様になった段階である。この段階の人は一般的に、帰属意識の対象である組織や社会のルールや規範を遵守する。そのため、この段階にいる人たちは他者をコントロールする欲求を持たず、チームのメンバーとしての役割を果たす、集団の核となる(典型的な「善良な市民」)。

続いて発達段階4を、「自己主導段階」と呼ぶ。このステージにおいては、自己の価値観に焦点が当てられる傾向があり、「自分」軸とも言える。同じく「自分」軸である段階2との違いは、段階2においては焦点は自分の欲求や願望であり、段階4は段階3を含んで超えているので社会のルールや規範を理解した上で自分なりのルールや規範を持つ。自己とは異なる独自の存在として他者に敬意を払い、仲間や同僚として捉えることができる。一方で自己の独自性を強く認識しており、独力で道を歩むことにエネルギーを使う。

では発達段階4の限界とは何か。それは、彼らが自分自身を形成した価値体系と同一化していることであり、それ故に、自分と違う見方で世界を認識する人に対して非協力的な傾向がある。そのため、彼らは他者をマネジメントする事はできるが、真の意味で他者を動機づけ動かすことは困難である。

そうした限界を乗り越えていくと、徐々に発達段階5の特徴を帯び始める。発達段階5「自己変容段階」の人は、自分の枠組みの限界を認識しているがゆえに、他者と真の意味での協働やコミュニケーションが可能となる。ここで言う「真」とは、前の段階と違って、ステージ5は自分の認識というフィルターの存在に自覚的であるがゆえに、相手の価値観や認識をバイアス抜きで理解できるということである。一方ステージ4までは自分の価値観というフィルターを通して他者を認識し、世界を認識しているため、協働といいつつ、自己利益のために相手を誘導したり、コミュニケーションといいつつ自分の考えの伝達にとどまっていることも多い。

Column A:各段階が得る祝福

各段階は到達当初、世界から祝福される。冗談みたいな表現であるが、筆者にはそう見える。 例えば、学生の年で若くしてステージ4、及びそれに準ずる知性を獲得するとする。 ほとんどがステージ3にとどまる同年代の中では、敵なしである。 学生団体の設立やら何やら、やりたいことはほとんど出来るであろう。 このように、各ステージは到達した際には大きな祝福を受ける。

一方、到達したままでしばらく停滞していると、徐々に環境の変化に対して、包容力の限界が顕になってくる。 ステージ4で事業を創造しても、そこからしなやかに発達をしていかないと、組織成員から手痛いしっぺ返しを食らう。 頑固者扱いされ、裸の王様扱いされるかもしれない。 ステージ4の知性は、創業期においては大いに助けになった。 にも関わらず、会社のフェ−ズが進んでも発達していないならば、その同じステージの知性の暗黒面が顕になっていく。

上のステージでも同じである。 ステージ4.2は、かつてからすると異質な考えにも開かれており、包容力は上がっている。 ステージ4.4も、自身の価値観に関してダウトをかけており、ステージ4からするとかなりの包容力である。

しかし、ここで止まってはまたそれぞれの知性の暗黒面が襲ってくる。 ステージ4.2は一旦は立ち止まるものの、結局は自己主導に戻る。 ステージ4.4はどうしていいか分からなくなったあげく、外界に対して様子見に留まる。 それでも組織は動き、事業は進む。

まるで世界は、発達を止めることを嫌がっているようだ。 動き続ける世界において(昨日と今日は違う)、止まっていることは、自然の摂理に反しているのだろうか。

祝福と裁きを繰り返しながら、世界はあなたの自我の発達を導く。

3-6:ステージ5の世界観〜内面世界の探求と自我(エゴ)からの自由によって

Reapraでは、社会と共創するマスタリーを歩む上で、自我の発達においてまずは自我段階のステージ5を目指すことが有益であると考えており、以下ではその根拠を説明していく。(ステージ5の人は人口の0.2%と言われており、到達自体が難しいことには留意が必要。また、ステージ5を超えた後も、自己向き合いは継続していくものと捉えている。)Reapraでは、起業家も支援者も、社会と共創するマスタリーを歩むという意味では同じ構造にあると考えているため、共にステージ5を目指して自我の次元を上げていくことを目指している。

なぜステージ5を目指すのか。ステージ5の自我次元になってより可能になることは、

(1)各自の「メンタルモデル」の差異と由来の認知
(2)時間ダイナミクスを加味した意思決定

の2点である。これらの変数は「複雑性のマネージ」のために、なくてはならない要素であると言える。

「メンタルモデル」とは、人間の心理的メカニズムであり、世界認知や行動論理の根底をなすものである。「自我」には次元があり変容/発達するが、メンタルモデルはそこまで動かないと想定されており、自我の次元が上がれば、自身のメンタルモデルを客体化して捉えることが可能となる。各自の「メンタルモデル」の差異と由来の認知が可能になるというのは、この「メンタルモデル」が自分と他者で異なっているということと、個々人のメンタルモデルがどう形成されたのかを認知することである。

Reapra造語である「時間ダイナミクス」とは、「時間の経過と共に変化することを所与とする」ことである。万物は流転する。地球が回転し続けている限り、世は変化する。否定しがたいこの「諸行無常」性を、そもそもマネジメント・意思決定の前提としようということである。物事を静的ではなく、動的に見ようということである。

物事を動的に見ることに関してより詳しく見ていくにあたり、グロイターのモデルにおけるステージ4.0、4.5、5.0を確認する。グロイターのモデルに関する詳細は、Appendixを参照。

出典:

  • Cook-Greuter, S. (2014). Nine Levels Of Increasing Embrace In Ego Development : A Full-Spectrum Theory Of Vertical Growth And Meaning Making 
  • スザンヌ・クック=グロイター/門林奨(訳)「自我の発達:包容力を増してゆく9つの段階」(2018) p61

ステージ4は、マネージャーとして独立できるレベルの自我である。以前のステージにはなかった3人称視点(3pp)を保有しているがゆえに、誰に言われずとも、自分でゴールを設定することができることに加え、自分自身を振り返る眼ももっている。つまり自分でPDCAサイクルを回すことができる。さらに、3人称視点に時間軸がついているために、限りある時間の中で、過去を反省(Reflection)し未来に投企(Projection)し、それを達成すべく努力できる。 一方、ステージ4は、自身で構築した3人称とそこから伸ばせる時間軸の中で、世界認識が限定されている。ステージ4.5はその自分の自我自体を客体化する視点(4pp=4人称)を有している。4人称視点によって、自分が「客観的」だと考えるその思考や認識のシステム(3pp)を総体としてさらに客体化し、自分の癖をまた見ることができる(4pp)*。そしてステージ5は、その4人称視点にさらに時間軸がつく。自我を離れた視点から、未来に過去に視点を動かす能力、「拡大された4人称視点」が、ステージ5の真骨頂である。

※3人称、4人称について具体的な事例とともにわかりやすく解説しているブログ

3-6-1: ステージ5の自我が可能にする超長期経営のケイパビリティ

自我の発達は、上記のように「時間軸の認知の発達」と関連する。時間軸は、中長期の過去未来を動的に解像度高く想像できる時間幅のことを指し、自分で先のことを考えようと思ってがんばって考えるという側面もあるが、実際にはそう簡単に身につくものではない。時間が遠くなればなるほど、処理しなければならない複雑性は増大するからである。実際には自我が発達し、上記のグロイターの図で確認したように、認知システムの複雑性を増していくことが、時間軸の認知の発達を促すことになる。

出典:オットー・ラスキー/加藤洋平(訳) 『心の隠された領域の測定 成人以降の心の発達理論と測定方法』 (IDM出版,2016/10) p299

上記の図は、エリオット・ジャックスによる職務の複雑性と個人の自我発達の構造関係の整理である。彼の整理における「職務の複雑性」とは、指揮監督がない状況において、単独で特定の職務を完遂させることのできる「時間幅」と関係するとされている。企業における平社員はその日の仕事に従事することが求められ、それほど先を見通した思考や職務が要求されない一方、CEOレベルになると、少なくとも25年(表左側の職務階層Ⅶを参照)という長大な視野を持って職務を全うする必要があるとされている(自我段階との相関性は、表右側の「個人のケイパビリティ」における「社会的・感情的発達」を参照。ステージ5までの段階が記載してある。)。 起業家は、上記の図においてCEOが要求されている職務階層の能力と、自分自身の実際の自我次元のずれに焦点を当て、自身の実践や伴走支援を受けていくことが望ましいと思われる。 (参考:オットー・ラスキー『心の隠された領域の測定』pp299-300)

Reapraでは目下研究中であるため、今後の進展をお待ちいただけると幸いである。取り急ぎ、自我の発達に取り組めば、時間軸認知も発達することは確かであるため、自己変容のための実践について記載したAppendixのシャドーワークを参照の上、取り組んでいただくことを推奨する。

3-7:起業家・経営者に求められる複雑な意思決定

Reapraが志向するマーケットにおいては、複雑性のマネージが重要とされているが、自我次元の発達はそのまま、複雑性マネージに資する。 実は複雑性のマネージに必要なことは、抽象度合いの高い思考である。日本人として成人発達理論研究の第一人者である加藤洋平氏は、以下のように述べている。

例えば、経営者が意思決定を行う際に、実際の現場や業界で何が起こっているのか、具体的な経営事象をみることは確かに重要です。しかし、そうした具体的な事象だけに埋没していては、経営の意思決定などできないと思われます。要するに、経営者が行う意思決定というのは、具体的な経営事象を観察しながら、それらの現象の本質を抽出するという「抽象化」を行いながら、複数の本質の関係性をもとにして、1つの経営判断を下すことなのです。 〜中略〜 複雑な現象に押しつぶされることなく適切に対応していくためには、思考の次元を上げ、抽象的なレベルで物事を考えられるように訓練することが求められるのです。(加藤洋平『成人発達理論による能力の成長』

そしてこの抽象化の能力は、自我の発達に密接に関係するのである。なぜならば、ステージを上げるに従って、3人称視点や4人称視点といった視点を有するようになり、当座その場で起こっている事象や眼の前の人物といったリアリティに飲み込まれずにその場の事象に埋没しない視点から物事を考察できるようになるからである。

複雑性のマネージとは、その場で起きていることだけではなく、例えば自分の業界だけではなく他の業界からアナロジーを取ってくるといった、視点を遠くに飛ばして変数を余所から持ってきて増やすといった思考法が必須である。

上述の通り、ステージ5の自我は、過去のどのステージよりも複雑で、包括的な世界観を有している。加藤洋平氏も同書で「能力の質的な成長とは、能力の構造の複雑性が増大していくこと」と述べており、高次の企業統治を支えるのは高次元の自我であると言って良いだろう。

3-8:抽象度が高いミッションと自己探求 like CCwSマスタリー

以下、鈴木(2006)の議論を参考に、ステージ5の自我次元がなぜReapraのミッションのために必要なのかをさらに記述していこう。
(出典:「Individual HolonとSocial Holon  ~Agapeの二形態~」

このステージの能力を一言で言うならば、「統合」的視点を取れるということである。ステージ5は、矛盾する2つの視点(二項対立)を統合できる能力を有する。それは自分の自我自体を客体化しているという、自分の自我から自由になれているから可能になる能力である。各自の立場・意見・価値観は、必ず各自のアイデンティティ(自我)と深く関係する。どんな人間でも「幼少期」がある。幼少期から学童期、ティーンエイジャー、青年期と続いてきた人生において、各自はアイデンティティー(自我 / ego)を形成する。この自我があるから、完全な絶望や混乱に陥ることなく、正気を維持して生きることができるために、意識構造(エゴ)は、しばしば、秩序形成機能と定義される。

ステージ5は自我から一定程度自由であり、距離を取れる。であるが故に、自らのアイデンティティイシューに、以前のステージから比べると、相対的に巻き込まれなくなる。

このような自我次元の持ち主だけができることがある。それが、「組織の中心となる価値観(構想・使命・目的等)を明示することをとおして、組織の諸々の構成要素(各構成員の個人的な欲求・感情・希望等)を統合する」ことである。なぜなら、彼らは人間一般の自我(エゴ)から相対的に自由だからである。彼らはより高次の、他の人と比べると相対的に普遍性が担保された考えを持つことができる。

組織成員はそれぞれ相互に独立して存在する内的欲求(目的)がある。それらを統合して、ひとつの方向性へとまとめあげていくことであるために、組織の統括者は、構成員間の建設的な対話を促進するための枠組を提示することができる必要がある。この、人間関係のなかでこうした働きかけができるためには、組織統括者は、自己の内部に個人のアイデンティティー(自我)を超越した、普遍的な説得性をもつ価値観を確立している必要がある。この普遍的な価値のもとに、共同体の全構成員は自らの存在を位置づけられることになるのである。

組織の維持・成長を促進するために必要となるのは、必ずしも具体的な行動の方法を教示することではなく、むしろ、核となる理念の理解を援助して、そして、それを具体的な場面において適用する能力を育成することである。組織成員に真の意味での自由と責任をあたえるためには、抽象的なレベルにおいて核となる理念を明示することができなくてはならないのである。こうした本質に対する理解が欠如している限り、行動は外部からマイクロに支配されつづけてしまう。

その意味では、組織の統括者として経営者が求められるのは、まず、自らが徹底した自己の内面自我探求を実践することを通して、普遍的な説得性をもつ理念や価値の源泉を確立しておくことである(例:社会と共創するマスタリー)。

ステージ5はこの普遍性の体現によって、各成員がどのような血縁、地域性、国民性、宗教性を保持していようとも、普遍的な価値観の地平から彼らを公平にとりあつかおうとする。ステージ5経営者はその理念によって、各成員の後景にあるそれらの論理を超越させ、各論理のしがらみから解放することができる。そのために、組織の統括者は自らの個人的感情や個人的利害の影響をしりぞけることのできる成熟した内省力を基盤とする克己の精神を確立する必要がある。

ここにおいて、もうひとつ重要なことは、組織長は自組織の利益のみならず、組織の外の共同体の福利をも配慮しなければならないということである。組織の生存は外部環境を与件とするため、統括者は、共同体の生存条件(Life Conditions)を客観的に把握した上で、そうした外的な文脈のなかで共同体の持続可能性を維持・向上するための方法を探究する必要がある。

共同体の生存状況を客観的に把握することができるために、統括者は、自己の内面に蠢く諸々の心理的傾向を理解しておく必要がある。そうした内省力を基盤として自己のこころの動揺を律しながら、統括者は、刻々と変化する状況のなかで、共同体の目標と戦略を構築・実施していかなければならないのである。こうした内的能力の欠如している場合、統括者は、しばしば、世界に自らの個人的な経験・感情・希望を投影して、判断を誤ることになる。自己の内面を客観的に観察(対象化)して、それを律することができる内的能力(intrapersonal intelligence)が、ステージ5の重要な構成要素であるといえるだろう。

人間の自我の働きに対して注意深さを持つステージ5は、会社が特定のカリスマに属人的になることに対しても注意深い。彼らが相対的に普遍性の高い理念を構築・追求する傾向にあるのもそのためである。

Column B:自我が一度死ぬということ

発達のために、自我は一度「死ぬ」ことが必要であると言われる。キーガンは、「アイデンティティの発達には、社会から課せられる適切な要求と、自分の発達段階とその要求の差から生れる適切な葛藤が必要である」と述べた。

以下ケン・ウィルバー著『インテグラル理論 多様で複雑な世界を読み解く多次元の成長モデル』から、該当部分を引用しよう。

105p

a.達成

達成(fulfillment)とは、その段階(ステージ)における基本的な課題を達成するという意味である。すなわち、その段階(レベル)における基本的な能力を確立するのである。とはいえ、その段階の能力を完璧に使いこなせるようになる必要はない。ただ、さらに前進を続けるために必要な程度まで、その段階の機能を果たせればよいのだ。こうした課題を終えていない場合、発達は止まり、さらなる変容は起こりにくくなる。

これと同じことを、もっと主観的な観点から述べることもできる。次の段階へと進むためには、その段階を十分に味わうこと、その段階に十分に満足することが必要なのだ。その段階の「栄養」に飢えている人には、他の段階に目を向ける余裕はないのである。

b.不協和

逆に、ある人がその段階(ステージ)を十分に味わい、その段階にかなり満足するようになると、その人はさらなる変容に対して開かれるようになる。だが、変容が起こるためには、一般的に言って、何らかの不協和(dissonance)が生じていなければならない。

新たな段階(ウエイブ)が必死に現れようとしているのだが、昔の段階(ウエイブ)も捨てられるまいと必死にしがみついている。こうして個人は、二つの段階の間で引き裂かれ、不協和を感じ、さまざまな方向に引っ張られるのである。

しかしどんな場合であっても、現在の段階に対して、何らかの深い不満足感を抱いていなければならない。その段階に心を乱されていること、悩まされていること、苛立ちを感じていることが必要なのだ。葛藤に満ちた深い不協和を、幾度となく感じていることが必要なのである。

c.洞察

どんな場合であっても、変容のためには、現在の段階(レベル)を積極的に手放さなければならない。別の言い方をすれば、現在の段階に対して死ぬことが必要なのである。

もしかすると、その人は、現在の段階に内在している限界や矛盾に突き当たったのかもしれない(ヘーゲルが述べているように)。あるいは、現在の段階と脱同一化し始めたのかもしれない(ロベルト・アサジョーリが説明しているように)。あるいは、単に、その段階にうんざりしてしまったのかもしれない。

いずれにせよ、この時点で、こうした状況に対する何らかの洞察(insight)が現れるようになる。自分が本当は何を望んでいるのかということや、世界とは本当はどういうところなのかについての洞察を得るのである。

大抵の場合、こうした洞察が生じると、変容のプロセスは進みやすくなる。さらに、自分は変化するのだと強く宣言することや、変化しようという強い意志を抱くことも洞察の一種であり、意識は前に進みやすくなる。

こうした洞察を促す要因としては、内省、友人との対話、心理療法、瞑想などを挙げることができる。あるいは、最も多い要因であるのに誰一人としてその仕組みを理解していないのだが、ただ生きるということそのものによっても、洞察は促されるのである。

d.自己解放

そして最後に、もしこうしたことが全てうまくいっていれば、次の意識段階ーさらに深く、さらに高次で、さらに広大で、さらに包容力のある意識段階ーに対して自らを開くこと(opening)が可能になる。

(引用終了)

とは言え、自我発達段階の基本コンセプトは「含んで越える」であるから、一度死んだ自我でも、我々はいつでも呼び出して活用することができる。誰しもステージ3の「社会化段階」を使っていない人はいない。このステージの自我が無いならば他者との共同や、そもそも社会生活もままならない。
ただしポイントは、そのステージにもはや囚われてはいないということである。そのステージの自我からは脱同一化できており、客体化は済んでいる。例えば我々の中で、ステージ2欲求段階の自我を持たない人はいない。誰しもが欲求を持っている。しかし、我々の多くは、欲求の多くをコントロールできるようになっている。眠くても努力し、お腹が空いてもしばらくは我慢することができる。
この発達のプロセスを、主体の客体化と呼ぶ。かつて主体として生きていた自我ステージを、次のステージでは客体として眺めることができる。自我発達段階測定においては、意識がどのステージに主体として立脚しているかを、語られている発話から分析する。人は客体化できていることは語れるのである。いわは、何を語るかを聞いていると同時に、何を語らないかを聞いているのが、自我発達段階のインタビューである。

3-9:変容/発達のための支援ガイド

3-9-1:ステージ4 セルフオーサーのため

発達段階3から4へ至る際に下記のような現象が個人の意識の中で生じる。

所属する集団に認められたい・受け入れられたいという欲求から心理的な距離を取れるようになること。仮に自分の内なる声が、属する集団の価値観に反する行動を求めたら、それに従って一人で歩むことができなければならない。 自分の独自性・個性に対する認識をより深めていくことができる。他者と異なる点はどこにあるのかということを探求し、他者の独自性も尊重しつつ、他者に自分の独自性を伝える勇気を持たなければならない。 自分独自の価値観や原則に基づいた自己理論や倫理観を育むことができる。

発達段階3の個人にとって、上記三つのステップを経ることは大変困難です。なぜなら、彼らは、自分自身が物理的および内面化された他者によって定義づけられていることに気付いていないからです。それゆえに、発達段階4の価値観を体現化するのではなく、単純に表面的な言葉で支持することが頻繁に見受けられます。 (本スライドp.32から転載 https://docs.google.com/presentation/d/1W0ef6QP3vSXPocp-WUFcMLNK3uonsUT7VaQHrSkTGfE/edit#slide=id.p32)

ほか、下記が資料として参考になるため掲載する

3-9-2:ステージ5型リーダーを目指して

無意識の意思決定への気づき
変容への第一歩は内省である。私にわかっているのは、己を知ったならば、誰も以前と同じで有り続けることはできないということだ。ートーマス・マン『みずからを語る』

3-9-2a:己を知ること。それも、かつてとは違った新たな深い次元で。

ステージ4からステージ5にかけての変容を一言で言うならば、「己の闇との向き合い」である。それは過酷な旅となる。
繰り返すが、成人発達理論自体は、ステージの価値論的な優劣はつけていない。ただ科学的な営みとして、ステージが判別されたに過ぎない。どのステージも存在が許されている。以前のステージは過去の自分である。人は生まれた時はみなステージ1である。今この瞬間も、新たな命がまた発達のはしごを登り始める。
しかし、本書は起業家や経営に携わる人へのガイドとして書かれている。あなたが何か偉大な事を成したいのならば、やはりステージ5を目指さなければならない。

3-9-2b:メンタルモデルへの圧倒的な着目

ステージ4から5に到達するためには、圧倒的に深い人間理解が重要となる。すなわち、人のメンタルモデルへの理解である。それはすなわち(1)人間それぞれに違った世界認知や行動論理があることをわきまえ、その上で(2)それは対話を通じて変えられると理解し、実践できることである。すなわち目標や業績、行動といった外形的なことがらを中心としたコミュニケーションから、その目標の達成や望ましいとされる行動を阻む、自身でブロックしているその内面のあり方を照らす能力である。
では、上記二つの能力を得るために必要なトレーニングとは何だろうか。
それは、自己への深い対峙である。この対峙においては、自身が認知している自分の強みや弱みを越えて、自分でも知っていない自分の諸側面に向き合う必要がある。
自分で自分の気づいていない諸側面。これを言い換えるとシャドーという。自分の後ろ姿は自分では直接見えないように、自分で自分の気づいていない諸側面は、直接には自分では観察できない。それは、他者を通して見るしかない。他者が2枚鏡となって、あなたの影を照らす。他者はあなたにとって、360度の完全な自己理解を助けるサポーターとなる。前だけ整えて後ろが悲惨なことになっている人がみっともないように、自分の前身だけ理解してもそれは不完全である。

3-9-2c:自我の包容力拡大が意味するもの

自我の次元が上がるとは、その「包容力embracement」が上がることだとされている(グロイター論文より)。それを正しく図示したのが、らせん状の図である。人として誕生後、下から 始まり、自我発達と共に上昇していく。徐々にそのらせんは大きくなっていく。
特に最後、成人として到達する者が1%未満だとされているステージ5に到達するための自我の包容力を獲得するためにできることは何であろうか。「異なる他者、様々な他者を抱擁したい」と願うあなたの心を阻むものは何であろうか。
それはなんと、自分自身である。正確には自分の「無意識」である。
無意識とは、有象無象の感情が住まい、潜んでいる領域である。自分が過去生まれてからこれまで生きてきて、感じてきたはずの様々な負の感情、それは痛みであったり、悲しみであったり、悔しさであったり、恥であったり不安であったりする。それを常に100%感じているのでは、人生は覚束ない。それを抑圧しないでは生きていけない。心理学的な意味での抑圧ー自分の負の感情の抑圧ーは人が健康に生きていくために必須の心理機構である。人生の自我のステージにおいて、ある程度までの発達は、いかに上手に抑圧するかが勝敗を決すると言っても良い。
しかしながら、ステージ5にあたって、事態は反転する。「以前のステージで達成したことが、次のステージに行くに当たっては逆作用する」の法則通り、ステージ4まではいかに抑圧するかがポイントだったものが、今度は「いかに抑圧しないか」が鍵となるのである。

この抑圧した様々な負の感情を、シャドーと呼ぶ。シャドーは「影」の日本語訳の通り、自身の後ろに常時まとわりつき、自分では直接見ることができないものである(後ろ側にあるので)。このシャドーは知らずしらず、自身の世界認知と感じ方、行動を規定している。あなたが習慣化している何かにシャドーは必ず関与しており、それは暗黙の前提となって自身からはinvisible不可視なものである。
ステージ4から5に向かうにあたって、特にステージ4.5を超える後半戦においては、このシャドーとの向き合いが最重要の営みとなる。シャドーと向き合うこと、すなわちシャドーワークについては、後ほど詳述する。

3-9-2d:ステージ5に立ちはだかる発達の死の谷

キーガンの弟子筋のラスキーの整理を活用し、ReapraではX.2刻みの測定を活用し、自我発達の支援を行なっている。そこにおいての一つのポイントになるのが、X.5である。X.5未満だと前のステージに戻って意思決定をし、X.5を越えてくると上のステージで意思決定できるようになってくる(四捨五入をイメージしてもらえばわかりやすいだろうか)。特にステージ4から5にあたっては、自己喪失が深い4.4のステージを超えるのが難易度が高い。主観としては「一度死ぬ」の法則通りのことが起こる。逆に言うとここが支援のしどころとなり、支援対象者が「発達の死の谷」を越えられるように支援者は適切に支援をする必要がある。

Column C:山田さんの自己変容

下記では、上記のような自我発達に基づいた人間の変容が、実際に仕事での葛藤の中でどのように起きるのかを、ケースを持って見ていきたい。今回取り上げるのは、Reapraでも古参の山田である。Reapraにおける、創業以来のコンセプトの創出や業務の複雑性の増大に向き合いながら自己変容してきたプロセスを以下で見ていこう。

1.Reapraに入社するまで

山田は2015年7月にエス・エム・エスから独立して法人を設立し、業務委託やコンサルによって生計を立てていた。当時の心境を以下のように振り返っている。

「それは居心地良くて、自分のペースでできるし、誰か上司とかいる訳じゃないので、自分で全て意思決定できるし、まあ言ったら楽なんですね。楽にサラリーマンより稼げるとなって、これはいいなって思っていた。」

しかし、そんな山田に転機が訪れた。ある日、友人と平日の昼間からバーベキューをして、お酒を飲んでいたら、ふと山田が尊敬している祖父の言葉が脳裏をよぎったのである。

「昼間から酒を飲むようじゃ駄目だ。」

すると、山田は「今みたいな楽な生活はずっとは続かないのではないか」という不安な気持ちに襲われた。楽にお金を稼げていたため、山田にとってチャレンジングな環境ではなく、が故に自身が成長できていないことに気がついたのである。

そこで、山田は自分にプレッシャーをかけるために、自分で事業を創り出して、事業を回すことを決意した。

山田は友人も巻き込みながら事業を回し始めた時期に、Reapraに出会った。2016年末のことである。Reapraから投資先の営業コンサルの業務を任されたわけなのだが、この時の山田には成長したいという動機があったわけではなく、家族を養わなければならないので、お金を稼ぎたいという動機が強かったそうだ。

そうして2016年末からReapraと関わり始めたわけなのだが、関わり始めて数ヶ月で山田は様々な学びを得られたと感じており、山田はReapraと関わり続けることに前向きな気持ちであった。

そんな中、諸藤からReapraへの入社のオファーを受けて、2017年6月に入社を決意した。なぜ山田が入社を決意したのかというと、Reapraに入社して様々なことを学ぶことでお金を稼ぐ手段を身につけられると思っていたからだそうだ。当時の山田には自己変容という概念がなく、が故に自己変容への動機はなかったとも述べている。

2. 自己主導型への目覚め

山田は2017年9月にReapraへ入社し、経営陣との対話を重ねた結果、山田は過去の経験も活かせるセールスに軸を定めることを決意したのであった。これは入社前までジェネラリストであった山田にとって大きな決断であり、ここに山田の自己主導型の片鱗を見受けることができる。

しかし、直後に山田は自身が自己主導型ではなく、フォロワーであることを思い知らされる出来事があった。

山田は業務を開始するにあたって、諸藤に「Reapraが求めているセールスサポートってなんですか?」ということを聞いたそうなのだが、諸藤から返ってきた答えは

「それを設計するところも含めて役割を担ってください」

だった。山田はサラリーマンとして当然の質問をしたつもりだったので、かなり驚いたそうだ。それにより山田は自分はフォロワーであることを自覚したのであった。

しかし、山田は素直な人間であったため、反発せずに、それをしっかり受け止められたのであった。

そして、丁度その頃にReapraではマスタリーという概念が生まれようとしていた。

山田はマスタリーという概念を理解するために、『達人のサイエンス』という本を読んだのだが、この本との出会いが山田を大きく変えたのであった。

『達人のサイエンス』では、長い道のりでそのプロセス自体に喜びを見いだしながら高い目標にと向かっていける人のことをマスタリーと呼んでおり、読み進むにつれてマスタリーの生き方と自分のこれまでの生き方は真逆で、自分はこのままではマスタリーにはなれないということを思い知らされたのであった。その時の心境について山田は以下のように語っている。

「二年三年でこうやること変えていたりとか、何か大きな壁が立ち上がった時は『あ、これ自分のフィールドじゃない』って言ってフィールドを変えてみたりとか。・・・これは達人と真逆の生き方だなと思いましたと。・・・で、自分がこの後の人生考えたら、多分成り行きでいったら、僕は達人になれないって思って。」

そこで、山田はある決断をしたのであった。

「せっかく今、この構造を知ったのに、その構造に抗い続けながら何にもなれないっていう道をこの後の人生で歩むのってめちゃくちゃもったいない。だったら、自分が達人になれるかどうかはわからないけれども、一回その道にチャレンジしてみるのも価値があるはずなので、一旦マスタリーっていうものを試してみよう。」

山田はセールスに軸足を置いていたので、「セールス」をテーマとして、マスタリーの道を歩み始めることにしたのであった。

それから1ヶ月も経たずして、山田はマスタリーの道を歩むことの効用を感じていた。山田は意図的にセールス関連の業務を増やしたのだが、それによって山田は自分の業務とReapraの諸概念が繋がる感覚を味わうことができて、しかも自分の取り組みが周りから感謝されるようになったのである。山田はマスタリーの道を歩むことを今後とも続けていきたいと思ったのであった。

山田はもともとフォロワーであり、フォロワーに重心があったものの、自分でマスタリーの道を歩むことを決めて、実行に移し、一定の効用を得ることができたおかげで、自己主導型に目覚めたのであった。

ー考察ー

環境順応型(ステージ3)の特徴として、以下のような点が挙げられる。

出典:オットー・ラスキー/加藤洋平(訳) 『心の隠された領域の測定 成人以降の心の発達理論と測定方法』 (IDM出版,2016/10) p314

  • 自分独自の視点と他者(家族、コミュニティ、信仰する宗教、企業組織など)の視点を十分に区別できるか?:いいえ。
  • (内面化された)他者は自分の感情や思考に影響を与えているか?:強く影響を与えている。
  • 物理的な他者は自分の視点を支持するために必要な存在であるか?:強く必要な存在である。
  • 他者の視点と同一化しているか?:はい。他者の視点に同一化することによって自分自身を定義づけている。
  • 他者の感情や視点に影響を受けるか?:はい。物理的、あるいは内面化された他者と自分を区別することができるか?:いいえ。
  • 他者の視点を内面化しつつも、生み出される視点が自分自身の中ではなく、他者の中に存在すると感じている、あるいはそのように考えているか?:はい。
  • 同一視している他者に認められなかった場合、「自己の喪失」を経験するか?:はい。

祖父の言葉を思い出し、不安な気持ちになったり、Reapraの求めるセールスサポートを他者に問うといった部分は環境順応型の特徴を含むエピソードである。他者の視点を常に意識し、良き働き者として認識されるステージ3ではあるが、自分独自の価値観を他者のものと区別することに難しさがある。家族の視点を自分のものと捉えていたり、会社という組織の中での自身の役割を自身で考えてと言われたときの戸惑いは、環境順応型の山田としての反応と言えるであろう。

3.自己主導型到達を象徴するエピソード

かくして山田は自己主導型に目覚めたわけだが、その2ヶ月後から山田が自己主導型に到達したことを象徴するエピソードがある。

山田は以前から社内で重要だと言われていたが、誰も作成していなかったダッシュボードを、誰かに頼まれたわけでもないが、「自分で作って、自分の形をほかの人にインストールすればいいや」と思い作成したのであった。

しかし、山田の作成したダッシュボードは、運用できる粒度のものではなく、運用まではされず、そのまま時間が経過していったであった。

それから半年ほど過ぎた2019年7月に、山田は諸藤との対話の中でダッシュボードの運用を促されて、山田の素直さから、ダッシュボードの運用をしてみることにしたのであった。そして、今回は松田に伴走相手になってもらい、松田にダッシュボードの運用をモニタリングしてもらったのである。

松田はあくまで山田の伴走役であり、明確な解決策を提供はしなかった。あくまで本件の学習者は山田であり、松田は伴走者として、日々山田の内省を促し次の打ち手を考え、実践し、振り返ることをサポートしていた。

例えば、毎日一本一般化を作ることを継続するために、カレンダーの夕方にスケジュールを入れる。入れ始めたことで、一定は継続できるのだが、すぐにまたやらなくなってしまった。夕方は別のスケジュールが入りやすいことを踏まえて、次は朝一番に一般化のスケジュールをいれてみる。しかし、またやらなくなってしまったので、Slackで毎日一本一般化することを宣言したところ、その月は毎日達成できたのであった。

このように山田は自らあの手この手で考えて、自ら実行したことで、ダッシュボードを運用できるようになったのであった。このエピソードはもともとフォロワーに重心の合った山田が、自分で作ったダッシュボードを、自分で運用し始めたことで、自己主導型に重心が移っていったことを象徴している。

4. 自己主導型としての日々

ダッシュボード運用により、「自分のなりたい姿に向けて自分を変えていくことができる」という自己効力感の高まりがあった。自身が実践から得た学びを、起業家やインターナルメンバーに伝えたいという思いが生まれ、自発的にオンボーディングの仕組み作りの仕事を担当した。過去に作られた資料のアップデートや、新メンバーが聞くべき音源の整理などを大行い、実際にオンボーディングの際に使われることとなった。ダッシュボード運用の実践経験で学びがぐっと前に進んだ感覚があったことから、自身の仕事の幅を広げて実践の範囲を広げることで、新たな学びの獲得ができることを目指していた。

当時の自身の様子を山田はこのように振り返っている。 「自転車でぐっと踏み込んだら、あとはすいーっと走っていくような感じで、最初のダッシュボード作りは試行錯誤で手探りの状態でやっていたんですけど、うまくできそうだと感じたあとは、スムーズに仕事を進められていました。」

実際に、この頃に行われたインタビューでは、山田からこのような発話が聞かれた。 「自分がどういう人生を歩みたいのか、歩んだら幸せなのかというのを決めるっていうのがこれがミッションビジョンの、未来の話だと思うんですけど、ベースになってるのは価値観であり、その価値観をそのまま継続したいのか、何か変えていきたいのかによって、未来っていうのは決めていけるんじゃないかなって思っています。」

自身の価値観によって目指すところが定まり、そしてその目標が未来の自分に繋がってくる。つまり、意志決定は他人によって行われるものでなく自分で行うものであり、その決定の根源にあるものが自分の価値観だと語られている。ここでは、自身の価値観に自信を持ち、自己主導型としてイキイキと日々を過ごす山田の姿が見えた。

ー考察ー

自己主導型(ステージ4)の特徴として、以下のような点が挙げられる。

出典:オットー・ラスキー/加藤洋平(訳) 『心の隠された領域の測定 成人以降の心の発達理論と測定方法』 (IDM出版,2016/10) p314

  • 自分の価値観、感情、思考、伝統、歴史を他者に強要することを制限することに関して、何も糸口を持っていないか?:持っていない。
  • 他者の価値観を形式的には尊重しつつも、自分の価値体系が危うくなる場合には、他者との協調関係を放棄してしまうか?:はい。
  • 自分の価値観に固執することによって自己と他者の関係を捉えようとしているか?:はい。
  • 自分の価値体系を手放すことや他者に自分の価値観を批判されることに対して、恐怖を感じているため、自己や他者をコントロールすることに心理的エネルギーを注いでいるか?:はい。
  • 他者の価値体系を自己成長につながる大切なものと捉えることができているか?:いいえ。

自己主導型の人は、自己の価値観が形成されていてそれが言語化できる。また、その価値観に沿った意思決定が可能となる段階である。ダッシュボードの運用やオンボーディングの仕組み作りでイキイキと仕事に取り組んでいるエピソードには、山田自身の価値観や自身のやり方が確立されていったという背景がある。

一方で、自己主導型の特徴として他に挙げられるポイントとして、自身の価値観に固執するという部分がある。実際に以下で語られているエピソードには、価値観に囚われているが故に学び方に制限がかかってしまっていたり、他者との衝突が起きる様子が描かれている。自己主導型の欠点とも合わせながらこの先のエピソードを読んで欲しい。

5. 多元主義的段階への目覚め

2019年の後期では、自己主導型としてイキイキと過ごす山田の姿が見られたが、2020年1月からレポートラインが松田から諸藤に変わり、ここから数ヶ月間のスランプに入る。

2020年の年明けから、週に1回、1時間ほど諸藤と対話する時間が設けられた。その中で、山田の学習の仕方について諸藤から指摘を受けた場面があった。それは、山田がトップダウンだと信じて続けてきた学習方法が、実はボトムアップではないのかということであった。

トップダウンの学習とは、自分のなりたい姿を定義し、そこに近づいていくための実践を繰り返す方法である。ボトムアップは現状自分にフォーカスを当て、今の自分にある課題を一つずつ潰していくことで自分を向上させていくといった学習方法だ。2019年の山田は、「いつの時点でどうなっていたいのか」という短期の目標を設定しないまま物事を進めていた。また、ダッシュボード運用の際も見られたように、自分が現時点でできていないと思うことを洗い出しながら、それらを順にクリアしていくという方法で仕事を進めていた。このように、自分ではマスタリーテーマからトップダウンに学習を進めていたつもりが、実はボトムアップなものなのだと気づかされたのだった。

加えて、2020年の3月頃には、他者との衝突がよく起こることに悩んでいた。ここでも、伴走者である諸藤から、気づかされたことがあった。その頃の山田は、自分の意見を主張し、相手の意見と戦わせるような対話になっていた。その結果、相手に自分の考え方を押し付けようとしていた。この方法は、相手がフォロワーであるとうまくいく。辿るべき道を示すことにつながるため、物事がスムーズに前に進む。しかし、相手が自己主導型の人であれば、相手も自分と同じように意見や主張があり、それと対立する構造になるので、円滑に仕事が進まなくなる。起業家やインターナルメンバーとの対話では、それが顕著に現れていた。諸藤からは、自分自身に矢印を向けて、自分自身を変えていく必要があることを示唆された。具体的には、相手の自我に寄り添いながらコミュニケーションをとっていく必要があるということであった。

自分の学び方にも、自分のコミュニケーション方法にも課題があると突きつけられた2020年の1月から3月の期間は、精神的に辛かった。しかし、実際に業務の中で課題として出てきていた部分と諸藤から受けた指摘は一致していたし、内省を進めていく中でも納得感があった。

4月ごろには、さらに深く自身と向かうために、自身の認知の限界について諸藤と話し合った。この時間は、山田にとって、大きなブレイクスルーになったという。自分が囚われているものは何で、その囚われがどのように癖として現れているのかに気づくことができたのだった。

では、山田がここで気づいた自身の「癖」とは果たして何だったのか? それは「一人で実践する癖」であった。山田は過去の習慣から、他者を巻き込むことなく、一人で物事を勧める方が心地よく感じていたのだ。

実際に、この癖は業務の至る所に現れていた。自分一人で仕事を進めていた方が楽だと思っていたため、自身が担当しているセールスの業務に、新しいメンバーを入れることを拒んでいた。また、RMとして起業家と関わっているの時間の中では、起業家と自分がお互いの主張をし、コミュニーケーションが一方通行になってしまっているというところも、関連する部分であった。

山田は、当時の気づきを、自身の持っていたリーダー像と照らし合わせてこのように述べている。

「今までの自分のとろうとしてたリーダーシップていうのが、自分が何か強い答えを持っていたりとか、やり方を持って、人を導く・先導できる人がリーダーだと思ってたんですけど。・・・実はなんか自分がとろうとしてたリーダーシップって自分のこだわりの中、囚われの中で描いたものにすぎない過ぎなかったなってことに気づいたというのがありました。」

山田は内省によって得たものを改善するため、早速実践へとうつしていった。「支え合い」をアジェンダとして掲げ、それまで避けていたインターン生の巻き込みを始めてみた。2020年5月の頭には1名しかいなかったインターン生を、6月末の時点には6人にまで人数を増やした。それまで自分一人で行ってきた意志決定を、インターン生との対話の中で行うことを意識して行った。そのような取り組みを始めた時に、物事が再びぐっと前に進んだ感覚があり、自身の囚われの構造を知ることで人巻き込みに躊躇することがなくなっていくという変化があったそうだ。

また、投資先CEOとの対話にも意識して取り組むことがあった。それまでは、相手に「こう進めていけばうまくいくのではないか」という、自身の提案を主張するコミュニケーション方法をとっていたが、相手の中に存在する自我の構造にまで目を向けることを心がけるようになった。

これらは、インタビューを行った2020年7月末にも、継続して取り組んでいる部分である。

ー考察ー

多元主義的段階(ステージ4.5)の特徴として、以下のような点が挙げられる。

出典:オットー・ラスキー/加藤洋平(訳) 『心の隠された領域の測定 成人以降の心の発達理論と測定方法』 (IDM出版,2016/10) p314

  • 慣習的な知恵や、合理的・科学的見解をそのままでは受け取らなくなる。それは人が完全に公平かつ客観的ではいられないことを理解したからである。
  • 純粋に合理的な分析を放棄し、より全体論的で有機的なアプローチになる
  • 感情や文脈を考慮し、プロセスへの興味が強くなる。これまでの社会的な役割アイデンティティとは無関係に、自らの体験や判断に基づいて自身を独自に再定義する。独自の個人的達成を成し遂げたいという願望に夢中になる。
  • 自らの独自の才能を探し、そして自らが抱える緊急の問いを追求するために、自身の内側を向く(自分は何者かという、時間軸を入れ込んだ深い内省の始まり)
  • 自分自身の興味と問いを追求する際の熱意によって、他者の意欲を掻き立てることができるようになる。
  • 概念の多面性を理解する(複雑なモノの見方を覚える)
  • 感情がどのように身体に影響を与えるのか、あるいは逆に身体が感情にどのような影響を当てるのかに気づき始める(感情のマネジメント、心に対するメタ認知)
  • 個人の差異に気づくがゆえに、気遣いがなされる。
  • 自己に接触して内省する能力が非常に高度になってるために、他者に共感し、異なる見解や行動や反応を許容する能力も強固になっている(他者のメンタライジング)
  • 内的な矛盾に困惑し、自分自身のことを、一貫した全体像へと容易に統合することのできない多数の人格や声のもつ存在と感じる。

多元主義的段階の人は、「自身は何者か」という問いの追求に力を入れる。また、他者の持つ異なる価値観を許容できるようになる。実際に、山田は自分自身に矢印を向け、深く内省をすることで自分の癖を発見している。また、周りにいる人間との関わり方やコミュニケーション方法を変えると言う工夫も、他者の価値観を認めようとする姿勢と言える。山田のステージ5自己変容型へのジャーニーはこれからも続いていく。


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