序章:取り巻く社会と求められる学習のありよう
執筆者:諸藤周平、矢野方樹、佐藤克唯毅、沢津橋紀洋
「自我と環境の相互作用」という本書を通底するテーマを考える前提として、今我々が直面している環境と、そこに求められる学習のありようを前提認識として整理したい。
<今我々が直面している環境>
現代社会は資本主義がもたらした強大なエネルギーに駆動され、かつてない物質的豊かさと社会進歩を享受している。長らく社会の不幸をもたらしてきた飢餓、貧困、疾病、幼児死亡などから人類はますます解放され、多くの人々が長期的な幸せを追求することが可能な社会環境が整ってきた。
一方で、グローバルレベルでのヒト・モノ・カネ・情報の移動と、ICT技術の発達などにより、流動的で、変化が次の変化を呼ぶ不確実性の高い世界を迎えている。複雑に因果が絡み合い、最早事象を完全には捉えようがない、曖昧模糊とした、混沌とした世界になっているとも考えられる。2000年代初頭の"テロとの戦い"の最中、従来の国と国との戦いではなく、分散した個人と思想という曖昧で捉えようのない敵との戦いへと変化する戦争概念を指して"VUCA"という言葉が生まれ、今日では広く現代社会の特徴を捉える用語として浸透した。
これまでの常識や過去事例をベースにした確率的な予測は通じない可能性が高い、このような環境下で、一個人としてどのように人生を歩んでいけば良いのか。物質的な豊かさが当たり前になった傍で自殺率も高まっており、実存的な問いも未だかつてないほど差し迫ったものとなっている。
世界的なベストセラー本となった「ホモ・サピエンス全史」で有名なユヴァル・ノア・ハラリ氏は、その著書「21 Lessons:21世紀の人類のための21の思考」で、以下のように述べている。
「二十一世紀には、安定性は高嶺の花となる。もしあなたが何か安定したアイデンティティや仕事や世界観にしがみつこうとすれば、世の中は轟音を立てて飛ぶように過ぎていき、あなたは置き去りにされる危険を冒すことになる。おそらく平均寿命が延びることを考えれば、その後あなたは途方に暮れた老いぼれとして、何十年も過ごす羽目になる。経済的にばかりではなく、とりわけ社会的にも存在価値を持ち続けるには、絶えず学習して自己改造する能力が必要だ」。そして、従来は「まず学習の時期があり、それに労働の時期が続いた」が、これからの時代においては、「精神的柔軟性と情緒的なバランスがたっぷり必要だ。自分が最もよく知っているものの一部を捨て去ることを繰り返さざるをえず、未知のものにも平然と対応できなくてはならない」としている。
<これからの学習のありよう>
このように、21世紀に入って加速度を増したグローバル化とICTの普及による情報化の進展は、社会における知識の更新スピードを明らかに早めた。時流に即した新しい職業も続々と生まれる中で、これまで近代社会/国家を支えてきた教育制度のあり方に再考が促されるべきであるということは最早、現代社会のコンセンサスと言ってもいいかもしれない。そのような状況下では、現在の学校教育の大半で教えられている知識には疑念が呈されつつある。社会で求められる知識の変化を受け、学校教育課程の改定が繰り返されてはいるものの、世代をまたいで巨大な雇用を抱える学校教育において、大幅な変更は制度的/歴史的に見ても限界がある。そこには「時代が変わっても相対的に変わりにくいもの」を教えており、「人間の本質において共通の知識」を教えているから良いという意見もあるかもしれない。
ただこうした「学校で何を教えているか」という知識の問題はあるものの、その最大の悲劇は「学ぶスタイルそのもの」であると言っていいだろう。
実践と切り離された知識をただ学ぶ、それも教えてもらうことを通して、そしてその動機は評価してもらうためーー本来数多ある学び方のうち、ある一面の学び方が学校教育の大部分においては暗黙の前提になっているが、この学び方こそ、「知識の更新が高速化された現代社会」においては最大の足かせになってしまうのである。なぜなら、知識の更新が高速化されたがゆえにこそ、「生涯学習」が必要になるからである。生涯学習には、(1)今現在自分が置かれている現実に対して活用できる知識であること、(2)そもそも「正解」を目指すものでもなく、「正解」があるわけでもないこと、(3)評価を受けるためではなく自らのために学ぶこと、が重要な要素である。
そしてこれらの学習の態度は、未だ不透明な市場において、長きに渡り自ら試行錯誤の学習を続ける、社会と広く共創する起業家にも必要な心構えである。本書においては、これら、世代を跨いだ社会課題の解決に取り組む起業家にとって必須の学び方を、細かに記述していく。
今後求められる学習スタイルとは、曖昧な環境下で長期的に再学習と育成を続けること(Long-term Environment of Ambiguity, Re-learning and Nuturing: LEARN)になってくるのではないかと考えている。
本書の構成
本書は、社会と共創する熟達を歩む道のりにおいて、環境と自我の相互作用を意識しながら学び続けることの重要性をメインテーマとし、5つの章から構成されている。
第1章から第3章では、主に社会と共創する熟達に関わる理論の構成要素について概観し、第4章では、第1章から第3章までの理論をふまえて実践の骨子について記述している。
そして第5章では、理論と実践を踏まえた事例の紹介が続く。
より具体的には、
第1章では、「次世代起業家における社会と共創するマスタリー(熟達)とは」と題し、社会と共創する熟達とは何であるか、共創・熟達、脳といった重要要素についてについて記述し、またどのような環境を選び、どのように自己と向き合っていくのか、その必要性・重要性について記述している。
第2章では、「次世代起業家にとって社会と共創して学習し続けられるPromising Industryとは(環境)」と題し、社会と共創するマスタリーを歩む上で、どのような環境を環境を選ぶことが重要か、そしてそれがなぜ大事なのかについて記述している。
第3章では、「次世代起業家における自己変容とは」と題し、自己変容の必要性・重要性について記述している。自己変容について解像度を上げるため、既存の概念である「成人発達理論」を紹介し、ケーススタディを交えながら理論理解を促す章となっている。
第4章では、社会と共創する熟達を歩む上で、Reapraがどのように共に学習し合う起業家を選び、共に学び合っているのかについて記述している。 これまで多くの試行錯誤から一般化されてきた概念であるiFD(インテンシブファンデーションデザイン)とSO(ストレッチオペレーション)について論じ、どのように社会と共創する熟達、Reapraと一緒に学習していっているかの実践について書かれている。
第5章では、「社会と共創する熟達への道」と題し、社会と共創する熟達を歩んでいる起業家、Reapra構成員の具体事例を紹介している。
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