はじめに
私は、大学在籍時(1996-2000年)に起業を決意しました。そう聞くと前向きな若者の志高い表明のようにも聞こえますが、実際は、「大企業に入っても会社が倒産したらどうしよう?」、「リストラされ放り出されたらどうしよう?」という社会から自分がドロップアウトするのではないか?という不安が起業を決意する動機でした。今考えると社会の構造を全く理解していない、かなり無謀な選択だったと思います。なぜならば一般的にいって当時の日本社会では、起業した方が日本の経済社会という集団からは放り出される可能性が明らかに高かったからです。そんな無謀な選択であったものの、大学卒業後社会人を経て(2002年、24歳のとき)エスエムエスという会社を起業しました。思い返すと、私の今までの起業家としての経験は、「たまたま身を置いた環境、選んだビジネス環境」と、「その当時のコンプレックス(自我)」との、相互作用(それによって獲得してきたスキルも含む)の旅だったとつくづく感じています。
起業動機が社会への不安や恐怖からだったためなのか、創業し起業家として社会と向き合い始めてからの動的な変化は、その観点(環境と自我の相互作用)で非常に興味深く、起業後の比較的早い段階から「実践者」としての会社経営と、それを通して自己の起業のみならず起業全般を観察する「観察者」の2つの視点で歩んできたように思います。もともと独立前までの自分は、自信が無く、周りを過度に気にしながら、社会を後ろ向きなものと捉えるという傾向が強くありました。起業のスタート時点の自己評価が低くマインドが非常に後ろ向きだったため、起業直後からマインドが良くなり、「楽しい」と感じたのは自分でも意外だったことを今でも鮮明に覚えています。また、起業して1、2年と経ち会社が予想以上に上手く軌道に乗っていくと、外部の方から「凄いですね」などと言われるようになり、自分に全く実感がなかったので非常に驚いたのも記憶に残っています。マインドも後ろ向きで、スキルにも自信がなかった自分が、マインドが非常に前向きになり、スキルも今までの学校教育や会社勤め期間より飛躍的に向上しているように感じたことに自分自身強く驚きました。以降現在に至るまでの20年近くの間、この驚きを起点としてゼロからの会社経営の実践者と観察者という2つの役割を自分のライフワークとする営みがはじまりました。それは、「人や組織、産業というものがそれらの相互作用も含めてどうなっているか?」というものを実践を伴いながら観察しているともいえると思っています。またこのライフワークには大きく3点において今にも続いている大きな幸運があったと思っています。1つ目は、自己の体験に基づく極めて強い動機が形成されたこと。2つ目は、幸運にも起業した会社がゼロから極めて早い速度で成長していく、という極めて稀有な体験を得ながら、その実践知を軸に、当初11年間の調査、研究、実践することができた点。3つ目は、その興味が強くなるに連れ、1つの会社の起業体験では調査、研究、実践が偏ると感じ、思い切って11年間のエスエムエスという1サンプルに限定される起業家としての旅を終え、2014年4月にシンガポールに渡り、Reapraという産業創造の研究(REsearch)、実践(PRActice)自体をミッションに掲げる会社を創業するに至り、調査を1起業サンプルに閉じず広く拡張出来たことです。結果として、起業家と産業探究者という二足のわらじが統合され産業創造の研究、実践という領域に統合することができました。
しかし、この幸運があったにもかかわらず過去を振り返ると、1つ目と2つ目の幸運については、当時その構造理解が全くないまま見えない未知の闇雲を探索していたようなのものだったので、実際は失敗の連続でした。しかし、その失敗から学習しスキルや自我包容力に変容したものは今では自分の実践知に昇華されており、私にとって大きな財産となっています。(見逃してはいけないものとして、その裏側には多くの方のご協力があったにもかかわらず、自分のその時々の包容力の限界から関わった人に対して多くのご迷惑をかけてきたことも痛感しています。)失敗に苛まれている中では実践と同時に学習することが難しく(難しさの正体は、簡潔に伝えるのは難しいので是非本書を活用してください!)、今振り返っても非常に大きく後悔していることがいくつかあります。それは、今の私の研究、実践の強い原動力の1つにもなっている「自我囚われ」です。その時々の自我フィルターで環境をみているので当然多くのブラインドスポットや歪みができてしまいます。また、この「自我囚われ」が起業家にとって厄介なのは、自己のみの独立した問題ではなく、「環境」と「自我」の相互作用においても問題が発生する点です。言い換えると起業家にとって「環境」と「自我」の相互作用はミッションやビジョン、日々の組織における意思決定そのものなので組織全体の問題となります。起業家の背後には経営陣や従業員、広くはステークホルダー全般が関与しており、起業家の環境と自我の相互作用の影響を強く受ける構造になっています。
私の事例で具体的には、起業当初は自分が社会にフォローできないという恐怖心から過剰に仲間を求めたり過度に依存したりしていました。自分に自信がつき自律感を持ち始めると今度は巻き込んだ仲間達にも自律的に役割を担うことを唐突に強いるようになったりしました。また、更に会社の展望が開けるようになってくると役割自体を自律的に切り開くように求めたりしていました。しかし、それらの要求は当時巻き込んだ仲間達とってはかなり一方的かつ突然でありました。対話、共創という概念とはほど遠く、受け止めなければいけなかった役員、社員は混乱することがしばしばだったかと思います。今改めて環境と自我の相互作用という構造も含めて振り返ると、結果として巻き込んだ仲間達の自我囚われを強化してしまったり、前向きな気持ちがあったにもかかわらず成長の機会を提供できなかった、という非常に申し訳ないことをしてしまったという気持ちでいっぱいです。なぜならそれらの被害は概ね私の恐れ(自我)からくるものが起点となっていたからです。本来一定の概念や支援が適切にされていれば不要であった副作用が当時には山ほどあったと思っています。これらの致命的な失敗を繰り返したにもかかわらず運良くも会社として成長できたのは、大きくは「世代をまたぐ社会課題で将来有望だがマーケットが複雑でまだ競合がおらずゆっくりと学習できる環境で事業を行っていた」という環境の幸運が非常に大きかったと思います。
「人や組織、産業というものがそれらの相互作用も含めてどうなっているか?」は広大な領域であり、その背景には地政学的要素も含めた地理的要素や時代の変遷も含めた社会があると考えると、ほとんど全てまだ未知なものでこれからも未知であり続けると思います。
私の産業創造におけるいち起業家としての実践知はほぼ無知からの起業だったためもあり、失敗の連続でした。起業した領域は幸運にも長期有望だったが、自己の囚われが大きく、私自身の自我の囚われが組織発展に障害を作り続けた歴史と振り返ることができます。
私はこの未知なものを私個人のいち体験に閉じず、Reapraという組織を通して、世代を跨ぎ貢献していける組織にすることで繋いでいければと想っています。
私を含め多くの起業家達は、未知な領域の旅であるが故に環境に身を任せるか、コンプレックス(自我)に囚われるかの二項対立に陥ってしまうことが多くあるように感じています。その二項対立により、事業や学習の機会を失ったり、コンプレックスを構造理解がないままに強化学習してしまう、というもったいないことが頻繁に起こってしまっているように思います。なぜなら、ごく一部の強運な起業家の裏で圧倒的大多数の起業家は倒産してしまったり、事業で成功したとしても自我囚われの強化学習を続けてしまい、社会の中の自分を環境と自我の相互作用であることの無理解から予期せぬ環境変化により、長期でみると幸福感を感じにくい状況に陥ったりしているからです。未知な旅であるが故に自己でそれに気づき修正することは難しく、環境と自我の組み合わせが上手く行くことを運に身を任せるとなってしまっています。
本書は、未知がほとんどとは言え、注意深く観察を行なうと、ゼロイチの起業家には大きく、「環境(起業領域)」「(起業家の)自我」、「両者の関係性と相互作用」という因子で整理することでいくらか解像度の高い解釈ができるのではないか、という問題提起が起点となっています。未知な領域において、世代を跨ぐ社会課題を解決しようという志を持ち、実践を行う人、またそれを支援する人たちにほんの僅かでもその旅のガイドになればとの想いで書かれています。
2020年12月31日 諸藤 周平
はじめにのキーワード
用語 | 意味 |
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自我 | 意識(今気づいている自分)の中心。人間の意味構築活動を想定する意識構造のこと。意味構築とは、自分の人生あるいは仕事に独自の意味を築き上げる方法である。この本では、ロバート・キーガンやオットー・ラスキーらの定義を参照している。 |
囚われ | 先天的な要素及び、後天的に与えられた環境から来る自我(アイデンティティ)の無意識の領域。それによって当事者の意思決定なり行動なり習慣の多くが説明できるもの。囚われの中身はポジティブなものでも、ネガティブなものでも良い。 |
環境 | 「自己」を取り巻く組織・産業を含める社会のこと。 |
研究 | 収集した知識・経験を元に物事を探求すること。 |
実践・実践知 | 研究を経て得られた知識を実際の社会で活かすこと。また、実践によって得られた新たな知識・経験を実践知と呼ぶ。 |
包容力 | 自身の経験・知識から、理解・共感・実践をし、受容し得る範囲のこと。 |
次世代 | 5年や10年といった短い時間軸ではなく、数世代に渡る比較的長い時間軸のこと。 |
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