1章:次世代起業家における「社会と共創するマスタリー(熟達)」とは

執筆者:小堀雄人(はじめに・脳節)、森崇志(脳節)、三浦豪(感情・学習節)、浅倉真美(感情・学習節)、田中直樹(感情・学習節)、本田智大(学習節)、沢津橋紀洋(脳節)

1章のキーワード

用語 意味
ライフミッション 当事者が人生をかけてエネルギーを費やし続けられると信じられる拡張性(社会のニーズが徐々に高まっていくことで、学習機会が多く提供されやすい)のあるテーマ。
マスタリーテーマ ライフミッションに向かって前進していくために、比較的長い時間軸(10年程度)で学習していく領域。
囚われ 先天的な要素及び、後天的に与えられた環境から来る自我(アイデンティティ)の無意識の領域。それによって当事者の意思決定なり行動なり習慣の多くが説明できるもの。
囚われの起源 無意識に発生する思考の癖が形成されるきっかけとなったと考えられる1つ、もしくはいくつかの環境かつイベント。
次世代 5年や10年といった短い時間軸ではなく、数世代に渡る比較的長い時間軸のこと。
熟達 マスタリーテーマ、及びライフミッションに向かって前進していくために、自我を変容させながら必要な価値観や能力を獲得していくこと。
共創 当事者とは異なる価値観や能力を有している他者や他組織と、それぞれの目的を持ちながら、ある同じ目的に向かって共同学習していくこと。
学習 絶対的な正解がない中で、自らより適切な答えを模索していくこと。
自己変容 自己の意識が広がり、能力が向上していくこと。

はじめに

前章は「取り巻く社会と世代を跨ぐ社会課題を解決する次世代起業家像」と題し、(前章の趣旨)について述べてきました。 本章では、その次世代起業家が体現しつづけるべき「社会と共創するマスタリー」について掘り下げてきたいと思います。そのために、「はじめに」では「社会と共創するマスタリー」の定義について触れ、本節以降では、「社会と共創するマスタリー」を実現していくにあたり必要な諸要素を取り上げていきます。

社会と共創するマスタリーとは、「社会と共創しながらあるテーマにおいて熟達していく」行動様式のことです。定義としては、「行動様式」であるのでその目的自体は別にあり、上記定義においては「あるテーマ」と表現していますが、それは「Life Mission」とおいています。したがって、この概念の主な構成要素とそれぞれの定義は以下のようになります。

Life Mission:当事者が人生をかけてエネルギーを費やし続けられると信じられる拡張性のあるテーマ

共創:当事者とは異なる価値観や能力を有している他者や他組織と、それぞれの目的を持ちながら、ある同じ目的に向かって共働していくこと

熟達(学習):Life Missionに向かって前進していくために、自我を変容させながら必要な価値観や能力を獲得していくこと

Life Missionの定義にある「拡張性」というワードについても、特徴的な概念として補足説明をしたいと思います。第2章にて詳細を書いていますが、REAPRAは熟達していくための重要要素として「環境」を据えています。それは環境として、熟達しようと思っても社会的なニーズが時間とともに低下するような環境下においては、その難易度が高くなってしまうことをREAPRAは想定しています。逆にいうと、時間とともに社会的なニーズが高まるような環境においては、比較的熟達するための機会がもたらされる傾向にあるのではないかと考えているため、意図的にそのような環境を選択することをREAPRAは推奨しています。このような意味を包含して、「拡張性」というキーワードを使用しています。

また、熟達の定義にある「自我を変容させながら」という部分も重要な論点であるため解説をしていきます。前提としては、繰り返しになりますが、REAPRAが推奨している環境というのは、「時間とともに社会的なニーズが高まるような拡張性のある環境」です。換言すると、現時点ではどのようなニーズが発生するか、また現時点ではどのようにそのニーズを獲得していくかも不透明な環境とも言えます。すなわち、時間軸の変化とともに変数が相対的に増えやすい環境であるがゆえに、当事者自身がその時点において見える範囲やできることを環境の変化とともに広げたり高めたりする必要があるということです。こういった点に鑑み、熟達の定義には「自我を変容させながら」という言葉を内包させています。*自我の変容については第3章で詳述しています

まとめると、「社会と共創するマスタリー」とは、当事者が掲げるLife Missionに向かって他者や他組織と共同し、自我を変容させながら必要な価値観や能力を獲得していく行動様式ともいえると思います。ただ、ここで注意が必要な点があります。それは、「社会と共創するマスタリー」のプロセス、熟達していく過程というのは、Life Missionに向かっていく高揚感と本質的な辛さが同居しているということです。この点を理解していただくために、REAPRAが「Life Mission」をどのように紡ぎ出しているのかを説明していきます。

REAPRAにおいて、「Life Mission」を紡ぎ出すためのセッションを「インテンシブファウンデーションデザイン(IFD*名称については今後変わる可能性があります)」と呼んでおり、目的はあくまでも当事者の「Life Mission」を紡ぎ出すことなのですが、そのアプローチ方法に特徴があります。それは、当事者の幼少期をさかのぼり、当人にとっての「囚われ」や「囚われの起源」を探ることです。それぞれの意味をREAPRAでは以下のように解釈しています。

囚われ:当人の意思決定、行動を引き起こしてしまう無意識のフィルター

囚われの起源:無意識のフィルターを形成することになった影響の大きそうな一つ、もしくはいくつかのイベント

この定義に従うと、「囚われ」は当人の意思決定や行動を無意識に引き起こしてしまうものなので当人が認知できていない可能性が非常に高いです。しかし、これは決してネガティブな要素だけをもたらすものではないことに留意してください。極端な例かもしれませんが、次のように捉えると解釈が容易かもしれません。例えば、無邪気の道路で遊ぶ子供がいたとして、車に轢かれそうな経験をした場合、「道路で遊ぶことは危ないことである」と認知をして、意識/無意識問わず、道路で遊ぶことは少なくなるはずです。これによって、身の安全が担保され、生存へのリスクが低減されるとも考えられます。このように「囚われ」とは、当人にとって「生存し続けるために無意識的に選択している戦略」とも解釈できます。

一方で、「囚われ」のやっかいな部分が、当人の見える範囲やできることに限定性をもたらしているということです。上記の例に沿うと、本当は道路で遊ぶことで知らない人と知り合えたり、車好きな子どもだったとするならば新しい車に出会うことの機会が減ってしまうはずなので、「囚われ」によって機会の損失が起きているとも言えます。

つまり、囚われによって、当事者が無意識に避けてしまっていたり、見なくなってしまっていたり、出来ないと思ってしまっているコトやモノが規定されているとREAPRAは考えています。したがって「時間とともに社会的なニーズが高まるような拡張性のある環境下」において自我を変容させながら熟達するプロセスというのはまさに、囚われに向き合うことであるが故に、当事者が従来持っている正しいと思い込んでいる価値観や、能力をある時は壊したり自省的になる必要があるため本質的な辛さをともなう過程であると思っています。*囚われからLife Missionを紡ぎ出す構造やプロセスの詳細は第4章に譲ります

ここまでが、「社会と共創するマスタリー」の概観ですが、最後に「なぜこれを目指す必要があるのか」を述べたいと思います。REAPRAは、これを目指すことによって当事者が「長期で持続可能な幸福感」を獲得できると信じているからです。

つまり、自我を変容させながらより幅広い視野や高い能力を獲得したり、異なる価値観や能力を持っている他者や組織と共同することを通じて、社会との接点が増え、持続可能な幸福度が高まると考えています。なぜ、社会との接点が増えることで持続可能な幸福度が高まるかというと、脳科学や人類発展の歴史など様々な観点がありますが、ここでは幸福度やソーシャル・キャピタルの観点から考えていきたいと思います。例えば、令和元年に内閣府が発表した『「満足度・生活の質に関する調査」に関する第1次報告書』では、以下のよう述べています。

「友人との交流頻度」、「頼れる人の人数」、「ボランティアの頻度」など、社会との つながりを強くしたり、「共助」を強化する属性については、総合主観満足度を増加させ る傾向が確認できる。つながりの中でのセーフティーネットが機能していると考えられる。特に、友人との交流頻度や頼れる人の人数別の総合主観満足度を見ると、交流頻度や 頼れる人数の多寡によって満足度に大きく差が出ている。社会とのつながりや共助を担う 環境と満足度との関係性が高いことが伺える。

もちろん、REAPRAとしては「社会と共創するマスタリー」をしなければ、絶対的に幸福度やソーシャル・キャピタルが低減すると考えているわけではありません。この点については仮説や可能性の域をでることはないですが、過去の人類の歴史的・社会的な背景やそこで生み出された教育制度、REAPRA自身が向き合っている産業や起業家の変容など、多くの変数に向き合いたいという強い意思のもとを通じて実践をし続けてきた結果、考えられているものなので今後変わっていく可能性も十分にありえます。

ただ、不変の部分があるとすると、今後私たちが「研究と実践を通じて、産業を創造することで社会に貢献する」というMissionのもと、個々人やそれぞれの組織の「長期で持続可能な幸福」を目指し、拡張性のある環境に身をおいている多くの起業家やインターナルメンバーとともに「社会と共創するマスタリー」の研究と実践を通じて、よりよい未来のあり方を模索し創り続けるということだと思います。

参考文献 内閣府,「満足度・生活の質に関する調査」に関する第1次報告書,令和元年https://www5.cao.go.jp/keizai2/manzoku/pdf/report01.pdf

はじめに

私たちは、社会と共創する熟達の妥当性や重要性についてのより深い理解を促進し、脳を活用することが社会と共創する熟達を歩む上でひとつの重要な要素として捉えている。そこで本節では、読み手が読後に下記のような状態になっていることを目指す。

社会と共創する熟達において「なぜ脳を活用するのか」理解し、脳の機能と発展にまつわる人類の歴史を理解しながら、現代の脳の特徴と 社会との適合度合いを認知して感情を活用することに動機づいている状態

また、人間はどのように意思決定をしているのか、原始的な狩猟や農耕を営んでいた時代から社会や経済が高度に発展した現代に至る過程で、人類の脳は取り巻く社会からどのように影響を受けどのように変化してきたのか、また個体としての人間の脳は生まれてから成人するまでどのように発達するのかを理解することで、読者の皆さんが社会と共創する熟達をよりよく進めることが出来るのではないかと考えている。その背景は、主に以下の二点である。 一つ目は、人間はその進化の成り立ちから、他の動物に比べて生まれてから後天的に成長する部分が圧倒的に大きいことで知られており、一個体としての人間の脳も、遺伝だけでなく後天的に与えられた環境により脳が可塑していく(変化していく)からである。つまり、当事者の意思決定や習慣などが脳に紐付けられているとするならば、当事者が将来ありたい姿に向かって変容していくために、脳が可塑していくことを理解し活用することは重要な要素と言える。 二つ目は、私達が日々生活する中で感じる怒りや恐れ、驚きや喜びといった感情すべてが、人間の生存や種の繁栄というインセンティブ構造に則った脳の反応であるという前提をもとに、自分が日々感じる感情はどのように形作られているかを理解し、それをより良い学習や意思決定に活用することは、社会と共創する熟達を継続する上で欠かせない要素の一つだからである。 このような背景をもとにして、本節では、「社会と共創する熟達における脳の活用」、「脳の発展/進化の歴史(人類の歴史)」、「現代の脳(現代の脳が持っている役割/機能)と感情」についてそれぞれ考えていく。

社会と共創する熟達における脳の活用

ここでは、「社会と共創する熟達における脳の活用」をテーマにして、社会と共創する熟達の過程で脳を活用する必然性について触れていく。本章の「はじめに」で解説した「社会と共創する熟達」の定義は下記の通りである。

社会と共創するマスタリーとは、「社会と共創しながらあるテーマにおいて熟達していく」行動様式のことである。定義としては、「行動様式」であるのでその目的自体は別にあり、上記定義においては「あるテーマ」と表現しているが、それは「Life Mission」とおいている。したがって、この概念の主な構成要素とそれぞれの定義は以下のようになる。

Life Mission:当事者が人生をかけてエネルギーを費やし続けられると信じられる拡張性のあるテーマ 共創:当事者とは異なる価値観や能力を有している他者や他組織と、それぞれの目的を持ちながら、ある同じ目的に向かって共働していくこと 熟達(学習):Life Missionに向かって前進していくために、自我を変容させながら必要な価値観や能力を獲得していくこと

Reapraでは、「社会と共創する熟達」をこのように定義をしているが、このアプローチを取るにあたり、脳を活用する必然性がどのようにあると理解をしているのかを説明していく。そのために少し冗長に感じるかもしれないが、大前提となる全生物の意思決定メカニズムに触れ、人類の脳がどのように進化/発展してきており、現代の脳はどのような特徴を持っているのかを概観していく。(脳の進化/発展や、脳の特徴など具体的な内容については、詳述する。) 人類を含めた全生物の基本的な意思決定メカニズムは、「自らが持つ種の遺伝子を長きに渡り繁栄させること」である。つまり、種を遠くの世代まで繁栄させることは、種が集団として生存競争に勝ち残ることを意味しており、そのためにすべての生物は報酬獲得と危険回避という2つの因子から構成されたメカニズムにより意思決定を行っていると考えられる。そのようなメカニズムをもっている脳が社会との相互作用のなかでどのように発展してきたのか、その特徴はどのようなものなのだろうか。 基本的に、脳は人間社会の発展とともに進化してきたと考えることができる。(どちらかの発展が先だったかは今後に議論にはあまり関係がないため割愛する。)具体的には、農耕技術の発達や言語や知識の獲得によって、脳は進化してきたと捉えることができる。一方で、それにより大きなインパクトを生み出せるようになってきた人類にもたらされたのは、グローバル化や情報革命といった、一個体の脳では到底処理しきれないほど複雑で高度化した社会であった。その結果、本来もたらされるはずの脳の進化は社会の変化に追いつくことができず、原始的な機能としていまも残存しているのが、報酬/危機回避を前提とした脳の感情というメカニズムである(そのメカニズムすべてが論点という意味ではなく、下記に説明する社会と共創する熟達に向けて時として不整合として起こりうるケースに重点を置いている)。 感情が起こるときというのは、(すべての生物に共通している)生存戦略からくる報酬獲得と危機回避というメカニズムが働いているときである。ここでの「報酬」とは生物の生存確率を高めうるものであり、一例としては肉食動物にとっての食べるための獲物、草食動物にとっての木の実、現代人にとっては資産や社会的ステータスを意味する。逆にここでの「危険」とは上記の報酬とは逆に、生存確率を下げうるもの、即ち人類にとっての毒蛇やサソリなどの危険生物であり、病気であり、貧困や社会からの隔絶もこれにあたる場合がある。ただ当然ながら「報酬」「危険」には多くの種類があり、その生物にとって何が主たる「報酬」「危険」であるかはそれぞれの個体が置かれた時代背景や環境により異なることには留意しなくてはならない。 そして、この感情の動き方によって、社会と共創する熟達という歩みにとって適切ではないことがもたらされる場合もあり、それが逆に社会と共創する熟達を進めるうえで脳を活用(コントロール)する必然性にも繋がっていく。 これまで見てきたように、何が報酬で、何が危機かは当事者が生きてきた時代背景や環境、当人のアイデンティティによって様々である。すると、当事者が仮に社会と共創する熟達という行動様式やライフミッションに動機づいていたとしても、それによってもたらされる本来向き合うべき目の前に現れる事象が「危機」だと判断するならば、そこから逃げてしまうことは容易に起こりうることである。つまり、感情という機能が社会と共創する熟達とは反する意思決定や行動をもたらしてしまうこともあるということである。 しかも、現代社会の変化は加速度的に早まっており、結果としての複雑性も増しているということは最早周知の事実であろう。つまり、1個体が保持している脳という機能を起点にして発生する感情によってもたらされる判断が、当事者にとって必ずしも望ましい結果に着地することの可能性が低減しているとも捉えることができる。1個体のみで成し遂げられる成果やありたい姿の幅や高さは徐々に狭まっているのである。 ただ、ここで重要なのが、感情をもたらす脳という機能自体には可塑性があるということである。当人の現在のアイデンティティを形成するものが先的的なものなのか後天的なものなのか、ということを明らかにするのは難しいはずである。しかしながら、全く同じ親を持ち、同様の環境で育っている双子が容姿は似ていたとしても、性格や思考が異なるケースを想定すれば、後天的な環境が脳の形成過程において重要な影響を与えていることは否定できないだろう。つまり、適切に環境をセットし、将来ありたい姿に対して日々の感情を認知し、相対的により良い行動をし続けていくことをすれば、脳や感情は可変していくとも言えるし、それらをうまく活用すれば、社会と共創する熟達という歩みをより良くしていくこともできると考えられる。 それをより深く理解するために、ここから、脳の発展/進化の歴史(人類の歴史)と感情について見ていく。

脳の発展/進化の歴史(人類の歴史)

ここからは、人間社会の発達と私達の脳の進化について記述する。 社会と共創する熟達を歩もうとする人が人間社会の発達と私達の脳の進化を知る意義は、社会と共創する熟達を歩む妨げになり得る原始的な脳機能を理解することにある。人類の脳は取り巻く社会から影響を受け、その時々の環境に対応して進化してきた。(正確には、運よくその当時の環境にマッチしていた個体の特徴が後世に残されていった。)しかし、近年の人間社会の発展の勢いはすさまじく、現代社会を生きていくために最適な形に人類の脳は進化しきれておらず、原始的な機能/働き方が脳に残っていると考えられる。具体的には、報酬/危機回避を前提とした脳の感情というメカニズムである。感情の全てが問題ではなく、時として社会と共創する熟達を歩むことの妨げになり得ると推察できる。 そのことを理解するために、まずは本節にて、原始的な狩猟や農耕を営んでいた時代から社会が経済が高度に発展した現代に至る過程で、人類の脳は取り巻く社会からどのように影響を受けどのように変化してきたのかを理解する。次に「4.現代の脳(現代の脳が持っている役割/機能)と感情」にて、それらの進化の結果、現代の人間の脳がどのような構造で特徴を持っているのか、それをどう活用するのかを理解する。この2つを理解することで、社会と共創する熟達をより前に進めるサポートになると考えられる。

ここから、人間の脳と社会がどのように相互作用を起こしながら変化していったか、大まかな全体像を話す。

人類が台頭する前までの環境

人類が著しく発達し台頭するようになる以前までの地上における主な生存競争は、道具を用いずに食糧を獲得する能力の高低に規定されていた。哺乳類の場合は、それぞれの環境において、道具を使わずに獲物を獲得する能力を高めることで進化を遂げてきた。例えば、肉食動物は相対的に脚が速い個体が生き残り、高いところにある植物を食べることが生存に繋がるキリンは首の長い個体が生き残る。人類以外の生物には計画の概念、自伝的記憶(自伝的記憶に関しては後項で詳述する)が存在しない。そのため、人類台頭までの間はたまたま環境変化に対応することが出来た種は繁栄し、そうでない種は絶滅していったと考えられる。

人類の台頭と脳の進化の変遷

人類の台頭が始まると、人間の脳はある2つの進化を遂げた。 1つ目は自己認識/他者認識の機能の拡大である。人間は自己認識できる限られた生物のうちの1つである。まず、社会の発展に伴う分業化/集団化/計画概念の発達から、他者を認識し始めた。そして他者認識の必要性から、自己認識をする必要性が生まれた。 もう1つは自伝的意識の獲得である。自伝的意識とは、自分を過去だけでなく将来にも投影する能力のことであり、その意思決定メカニズムには個人の過去の環境からくる偏りがある。まず、火の獲得や農耕を始めたことによって計画の概念が生まれた。そして、過去現在未来に照らし合わせて自己を考えるようになった。また、環境変化に対応するべく、遺伝的に組み込まれたものだけによらずなく環境から学習することで、行動するようになった。つまり、個体がより大きく可塑するようになった。

以降、どのように人類の脳が上記の進化を遂げたかを、具体的な社会の変化に沿って記述する。

道具の使用、火の獲得からの集団拡大

1-1. 石器の使用

石器が発明されたことで、石器を用いて獲物を得るという報酬を予測した行動がなされるようになった。その結果、計画の概念(時間の概念)が生まれ、道具の自己化が起こった。計画の概念を持つことは、現在の報酬よりも将来のより大きな報酬を期待して行動するようになるということである。道具の自己化とは、木の棒や石を、自らの身体の延長として捉えるようになることである。何かを目掛けて石を投げたり、物を棒でつついたりとより高度な行動に伴い脳機能も発達した。

1-2. 火の使用

火の使用によってより長い計画の概念と集団生活の必要性が生まれた。火を使った調理によって食料をより長く保存できるようになった。また、当初は火を起こすのが困難であり火は集団で扱われるものであったため、集団生活の必要性が増した。

農耕革命

農耕を始めたことによって、2-1. 時間や計画の概念の更なる発達、2-2. 定住/人口増加、2-3. 分業の発達、2-4. 序列の誕生、2-5. 神や霊の概念の誕生、2-6. 言語/文字/絵の獲得、2-7. 都市の発生が起きた。

2-1. 時間や計画の概念の更なる発達

眼の前の報酬に飛びつくよりも、数ヶ月待って育てたほうが報酬が大きいことを理解し、数ヶ月〜1年単位で計画を立てて生産するようになった。

2-2. 定住/人口増加

肥沃な土地に定住することで、より多くの人口を安定的に養えるようになった。こうしてグループの規模が拡大したことで、治安や規律を保つためのルールや規則が必要になった。

2-3. 分業の発達

体力のある男性は狩りに出かけ、女性は農耕や子育てを行うようになった。より高度に分業するために、求められるコミュニケーションが複雑化/発達した。

2-4. 序列の誕生

農耕がより高度な知識が求められるため、より経験が尊重されるようになった。そのため、狩りにおいてはあまり役に立たない老人や、体力の弱い個体も経験により価値を発揮できるように、経験豊富で生命力が高い個人が、後に長老として尊敬されるようになった。 ※補足:社会的な序列が何によってもたらされるかは、その時々の環境背景により移ろう。

2-5. 神や霊の概念の誕生

定住しているため、老人の死後は死者を近くに埋葬することになる。そのため、死者を弔い、一部能力が秀でている人を崇めるようになる。ここで神や霊の影響力に目をつけた人々が、それを意図的に利用し人々を扇動するようになる。これが社会を発展に導く場合もあれば、悪い意味で独裁となり悲劇を迎える場合もあった。

2-6. 言語/文字/絵の獲得

集団生活・分業化により高度なコミュニケーションを行う必要性が生まれた。そのため、経験から得た過去の情報を、他者が分かる形にすることで情報を共有し、情報を将来に渡って保存するようになった。

2-7. 都市の発生

肥沃な土地は海や河川の近くにあり、そこに人々が集まることによって都市が生まれた。そこで、顔見知りでない異なるコミュニティの人々と暮らす必要性が出てくる。そのため、コミュニケーションの複雑化により脳の発達した。また社会システム(法律、ルール)が必要とされるようになった。

産業革命

動力源のコモディティ化に伴い労働環境が激変した。具体的に言うと、強靭な肉体の価値低下、 動力源のレバレッジ/活用に付加価値がシフト、工業化、大規模工場化が起こった。 これは、現代まで引き伸ばされているブロイラー型教育(一定社会的知識、協調性、道徳?)につながると考えている。工場労働者(日本でいうホワイトカラー職もほぼ同義)育成過程で幼少期の詰め込み教育インプット期と成人後の工場労働のアウトプット期のような区分け傾向が生まれた。そうして、本来の脳の可塑性を減らすようなを単純化が行われ、手っ取り早く同質な人が量産されていった。これは成人後の思考、行動力にも大きな影響を及ぼしていると考える。

ここまで人間の脳が種の進化と共にどのように進化してきたかを追ってきた。それでは、社会と共創する熟達を歩むためには具体的に脳をどう活用していくのが良いのだろうか? これについては後の感情/学習節で記載する。その前に、一個人の脳が個体の成長と共にどのように成長していくかを見ていく。

現代の脳(現代の脳が持っている役割/機能)と感情

ここまで、社会と共創する熟達を歩むうえでなぜ脳を活用するのか、脳がどのように歴史的に発展してきたのか、また現代の脳は必ずしても現代環境にFitしてきていないことを見てきた。ここでは、そもそも脳はどのようにして発達していくのか、あまり知られていない脳の発達と可塑性について理解し、「社会と共創する熟達」を歩むうえでどのように脳を活用できるのかを考えていく。(ここで前提としたいのが、何か先天性(遺伝)による影響で、何が後天的であるのかを判断するのはとても困難なこと、ということである。したがって、本項においてはそこを論点とするのではなく、あくまでも「脳」の構造と可塑性に光を当てていきたい) REAPRAでは、当事者としての人が何か物事を判断したり、意思決定したり行動したりする様の本質的な要因を「環境と自我の相互作用」と呼称することが多い。つまり、環境によって何か物事を判断したりする自我が形成され、その自我により環境を取捨選択している、という解釈である。その構造の役割を担っているのが「脳」であると考えている。そして、その脳こそまさに環境(後天的要素)により発達し得ることが様々な研究から明らかになっており、ここでは、まず、一般的な脳の発達について、年齢という観点で考えてみる。 通常、生まれてから3歳ほどまでを目安に「模倣の時期」を迎える。この間、赤ちゃんは周りの人々,環境が発する情報を無条件に受け止めることで脳に刺激を与える。すると脳の神経細胞が枝を伸ばし,他の神経細胞と結びつき、網の目のような神経回路網を作り上げる。その後4歳から7歳を目安に、3歳までに作り上げられた回路網をベースに、前頭葉の前頭連合野の配線を密にしてゆく。自分で考え,自分を主張し,創造力を発揮する時期を迎える。10歳頃になると前頭連合野の配線が終わり、思考・計画・判断を自ら行うようになる。なお10歳以降の脳の発達は横ばいとなるため、脳はほぼ完成の状態となる。 このように、環境が発する情報を無条件に受け取ることで、何かしらの意思決定や行動のおおもとになっている脳の神経細胞が形成されていくのが脳の発達形成の過程である。また、脳の神経細胞自体は機能としての脳がほぼ完成となった10代以降も発達していくことが以下のように明らかになっている。

可塑性シナプスは、既存のニューロン間のシナプスでの通信を改善することにより達成  されます、神経発生は、脳内の新しい神経細胞の誕生と成長を指します。…加齢に伴う  神経生物学的衰退はよく研究文献に記載されており、高齢者が神経認知パフォーマンス  テストでは若者よりも悪い結果を持っている理由を説明されております。驚くのはすべ  ての高齢者が低い性能では無いと言う事、中には若者と同じ結果を出す人もいます。こ  の予想外の同じ年齢の人達のグループにおいてのパフォーマンスの違いは科学的に研究  され、高い性能を持つ高齢者の新しい情報を処理する部分は若者が使用するのと同じ脳  の領域を使用しており、更に若者も他の高齢者も使用しない部分も使用いたします。

  参考文献:https://www.cognifit.com/ja/brain-plasticity-and-cognition

つまり、加齢という現象が発生したとしても個体毎によっては、相対的に年齢が若い人よりも高い人のほうがパフォーマンスし得るということである。このように、環境などの後天的要素を意図的に選択できれば、脳が可塑し、意思決定や行動自体も可塑していく構造が理解できるのである。では、私たちが企図する「社会と共創する熟達」をよりよく歩むうえで活用できる脳の機能とは何だろうか?それが、「感情」である。 詳しくは次節で述べていくが、当事者にとって何が快であり、不快であるかを判断するのが感情である。快によって行動が進んだり、不快によって行動が止まったり(その逆もしかり)するのであれば、行動によって学習がもたらされるので、感情によって当事者の学習が左右されているともいえる。絶対的な正解がないなかで学習をしていくことが求められる行動様式としての「社会と共創する熟達」をよりよく歩むうえでは、このような構造理解が必須なのである。 加えて、本項で見てきたように、脳は環境により可塑していくのである。このことは、従来当事者にとって「快」であったり「不快」であったりしていた物事自体が動いていくし、動かしていけることさえも示唆している。したがって、「社会と共創する熟達」をよりよく進めていくうえで、自身の「感情」に向き合い、それらを活用して意図的に環境を選定し学習をしていくことでその過程を前進させていくことができるのである。その具体的な感情の構造や機能、活用方法について次項でみていくこととする。

感情とはなにか

「感情」とは、人間誰しもが持っている仕組みの一つであり、それは人間が生き残るために急速に脳を進化させてきたからこそ持ち得たものである。また、人間が生き、対応しなければいけない社会の複雑性の高さゆえに、人間の感情は他の生物と比べて最も複雑であると考えられている。人間が生き残るための意思決定メカニズムとして、脳が感情を作り出し高度化していった背景は、人間社会の歴史的背景と同期していると考えられる部分が多い。人間が自伝的意識を獲得する前までの「感情」というものは、主に危険から回避する、栄養摂取が十分にできるかどうかという環境に付随する程度のものであった。その後、自伝的意識を獲得し、計画の概念を持って活用するようになると、人は集団を形成して分業を行うようになり、格差が生まれていった。今起きていることだけではなく、これから起こることや他者との関係、過去に起こったことなども含めて脳の意思決定範囲になり複雑性が増した。感情から運良く成功体験が多く生まれた人が挑戦し続ける性格が形成されたり、幼少期のトラウマや過去の経験から感情による危険回避傾向が強い人は、変化する社会に前向きに対処しづらく、精神を病むことさえ起こり始めた。

感情を飼い慣らす

感情のメカニズムを知ることで、過去は変えられないが未来への活用方法は見出せる。なぜなら、感情は学習の起点であり、それをうまく活用することで飛躍的に意識や行動を変えることができるからだ。結果として物事に集中できるようになり、幸福感さえも高まる可能性がある。感情は学習の起点、というのは、人間は何かしらの驚き(活性)からしか学習をしないということである。

ここで、感情と学習の繋がりについて説明するために、感情を2次元で扱う。 感情は、快ー不快、活性ー不活性に分けられる。 快は嬉しい、楽しいなどの感情であり、不快は恐怖、悲しみなどのネガティブな感情である。 活性は驚き、興奮で目を見開く状態をさし、不活性は退屈、眠たい状態をさす。人間はこの感情を起点に行動を起こし、学びにつなげている。人間は、「快」を感じ、かつ「活性」な状況でのみ、報酬を取りに行くが、例えば「不快」を感じればそれを回避する行動をとり、「不活性」な場では鈍感になり積極的な学びにはつながらない(危険回避自体は学びの1つであるが)。計画が弱かったり、動機が小さい場合、この「不快」「不活性」が多く負に出てくる。例えば、やらなければならない宿題があるがその教科が苦手な子どもは、「不快」と「不活性」を同時に感じているので容易に回避行動、例えばゲームを始めたり友達と遊びに出かけたりといった行動を始める。 このように、内発的な動機が弱く計画もうまくできない場合は、自意識を中心に感情からの反射で危険回避行動を行いやすい。この反射的な感情は、過去の経験からの判断に基づくことが多い。当然、計画が弱い人は、反射で反応。思考。行動を回しているために、未知のものは危機回避して取り組まず、今までの経験からうまくいったことだけを報酬として捉えて取り組むようになる。 この行動をサイクルが継続されることで、未知のものから逃げて自分の得意なこと、得意なやり方だけをやることに固執し、その傾向は強化され続ける。他責、自分らしさの主張、トラウマ、などの要素が強いと報酬範囲が限定され不快(恐怖や、おびえなど)から危険回避範囲が広くなってしまう。それでは変化への対応や未知なものを回避しているだけなので創造に変えることが難しくなってしまう。 しかしながらReapranのターゲットとする領域は複雑性が高く、未知のことが多いので、その傾向を持つと向き合うのが難しくなってしまう。そこで、感情は学習の起点とし感情を飼い慣らすということをReapraは重視するのである。

配線組み換えと、パニックメカニズム

各個人が、何を快とし、何を不快とするかはこれまでの遺伝や経験に基づいて構成された回路によって決められていると考える。前提条件がめまぐるしく変化する複雑性の高い世の中においては、これまでに獲得した回路に基づき感情を評価するのではなく、日々の感情の機微を捉え長期的計画(ミッション・ビジョン)に基づき感情を意識的再評価することにより、徐々に「快」「不快」の回路の配線の組み換えをすることが望ましい。 配線の組み替えこそが脳の可塑性を示唆しているが、この回路は一朝一夕で変化するものではなく、徐々に時間をかけて変容するものである。いきなり大きな塊の施策に取り掛かると、危機と感じ回避してしまう可能性があり学習の機会を失ってしまう。Reapraが、まずは小さな施策から始めることを勧めるのはそのためである。

パニックメカニズム

ストレスが深刻になると、人はパニックゾーンに入り意思決定や洞察力、判断力、想起力などの最も高度な脳機能の支配力が弱まり、不安や心配に敏感になる。言い換えると、前頭前野は浅ましい感情や衝動を抑える制御中枢として働いている。 高度な脳機能とは最近獲得されたもので、そうではない古くからある機能ほど原始的で単純である。パニックゾーンに入りフリーズしてしまったりすると、原始的な脳しか使えずに学習の機会を逃しやすい。

現在パニックやフリーズに陥りやすいという人は、その構造を理解しそうならないためにどうやって学習に活用していくかを試行錯誤していくことが必要である。

学習は驚きから始まり、ミッション・ビジョンを活用したメタ認知思考とメタ認知活動でより促進されていく。危機回避とコンフォートゾーンに留まるだけでは学習は回らない。学習を回すためには一歩、自分の快適なゾーンから踏み出していくことが必要だが、パニックに入ってしまうとそれも学習を阻害するので、感情メカニズムを理解し、意識的に再評価することでメタ認識、活動を行っていく必要があるのだ。

活用しないともったいない!感情の活用のしかたとは?

それでは、感情を起点とした学習の仕方についてもっと掘り下げてみよう。

感情は快・不快、活性・不活性の二次元で表されると上述したが、これを図に表すと下記のようになる。 Screen Shot 2020-07-22 at 11 04 51 快、かつ活性のゾーンは「コンフォートゾーン」、不快、かつ不活性のゾーンは「パニックゾーン」、不快と快を併せ持つ活性のゾーンが「アンコンフォートゾーン」と定義している。

学習は、アンコンフォートゾーンと、ゾーン内の動機の強さ・メタ認知によって規定される。 アンコンフォートゾーンでは通常、未経験の物であったり踏むべきプロセスが不透明なことが多い。そのため、このゾーンで学習をするためには行動と思考をバランス良く回していくことが必要になる。小さな学習サイクルを回していくことで、アンコンフォートだった領域の解像度が上がっていき、改善、熟達へ繋がる。 アンコンフォートゾーンでは、不透明なものを嫌い危機回避行動をとる人が多くなる。しかし、ここに計画の概念ーつまりミッション・ビジョンを活用することで自分の行動や思考をメタに見ることが可能になり、意思決定の一助となる。 反射として不快や活性なもの(緊張・ストレス・ナーバス)を感じた時、多くの人はそれを避けようとするだろう。それは過去の自分の意思決定メカニズムがそう判断しているためである。「これは失敗するだろうからやらないでおこう」「誰かに批判されるかもしれない」などといった心配事が頭をよぎり、行動を妨げる。 そのような時に、長期計画である自分のミッション・ビジョンを活用する。対象を自分のミッション・ビジョンに照らし合わせ、意識的に再評価することで、Umconfortなことも報酬と捉え直して対象に向き合って思考・行動をサイクルとして回していくことを可能とする。 例えば、嫌悪感を感じる人がいたとして、多くの場合はその感じた感情に従って避けたり敵体感をあらわにしてしまうだろう。だが自らのミッション・ビジョンに照らし合わせて、「この人から学ぶことでより自分のためになるのではないか?なぜ自分はこの人に嫌悪感を感じているのか?」と思考することで、より対象への解像度が上がり行動へ繋がっていく。

Screen Shot 2020-07-22 at 16 57 00 また、反射的に快・活性(興奮や高揚)を感じた時にも同じようにミッション・ビジョンに照らし合わせる。通常、快・活性を感じる事柄というのは過去の経験から報酬を得られた体験である可能性が高い。報酬が得られると分かっている事柄を、ただ報酬として受け取って消化するのではなく、意識的に再評価して行動していくことが学習へつながる。 「なぜ褒められたのか?なぜ自分は嬉しいのか?」「成功をしたが、なぜ成功したのか?もっとうまくいくやり方はなかったか。」といったことをミッション・ビジョンに照らし合わせると、より新たな学びが得られるだろう。

上記のようなプロセスを習慣づけることで、感情を飼い慣らすことができるようになってくる。今までは感情だけで反射的に判断して行動していたことも、より学習につなげるためにはどのような行動をとるのが良いのかが見えてくる。不快に向き合い続けるというのは一人ではなかなかできないことなので、第三者の伴走があるとより学習の支援となるだろう。 Reapraが「社会と共創する熟達者」と呼んでいる人々は、不快に向き合い続けてきた経験を多く持っている。側から見れば不快と感じることにも向き合い挑戦に変えて、学びを得る。そうした小さなステップを、できるところから始めて行くことが熟達への一歩となる。

CCWSマスタリー追求における学習の定義

一般的な学習と、社会と共創するマスタリーの学習の違い

社会と共創するマスタリーを歩む起業家やその支援者が実施すべき学習とは「将来成したい姿に照らした特定の到達したい目標に近づくために、再現性高く実行できる実践知を獲得すること」であるといえるだろう。一般論としての学習の定義は様々であるが、多くの場合、教授型の知識のインプットを通した概念の理解をもって学習と捉えていることが散見されるように思う。例えば一方で我々が考える社会と共創するマスタリーを歩むための学習とは、単に知識を得たり、概念を分かった気になることではなく、実践を通して再現性高く実行可能な状態に到達することであり、この学習を通じた熟達の過程はどこまでも深さと広さがあり、終わりなき生涯続く旅になると考えている(そのため、足元は小さくとも将来広がり続けると信じられる領域との相性がいい!)。 確からしい答えが分からない不透明な環境下にて、将来のなりたい姿を頼りに学習を進める場合、様々の気づきや発見をその将来なりたい姿に照らして意味付けをし、今できる小さなアクション(施策)に切り出し、実際に実行してみることが必要になる。その後アクションの効果を振り返り内省することまでを含めて一つの学習サイクルであり、このサイクルを大量かつ高頻度で回すことにより、再現性高く実行できる方法論の獲得が進み、"現在の自分"と"将来なりたい姿"の差分が埋まっていくことになる。また社会と共創するマスタリーを通した熟達とは、この差分にどれだけ敏感になり、差分を埋めていく学習を意図をもって実行できているかに依存する。 この節においては、これまでに我々が研究実践を通じ紡ぎ出してきた学習についての2つの概念「経験学習を中心とした学習」と「あの手この手の学習」について解説する。

経験学習を中心とした学習

なにか新しいことを学ぶ際には、多くの方法がある。例えば、実践しながら学ぶ、考えて学ぶ、ニュースを読んだり、見たりして学ぶなどである。Reapraは、実践しながら学ぶ経験学習(LBD: Learning-By-Doing)こそが、社会と共創するマスタリーにおける核となる方法であり、Reapraのミッションの達成の鍵であると考えている。 Reapraのミッションは、社会をより良くするために、研究と実践を通して、産業のリーダーを創出するというものである。このミッション達成のための、Reapraのアプローチの1つとして、現在は小さいが有望な領域(PBF)内でビジネスを構築する意欲のある起業家を早くから見つけだし、協働することに取り組んでいる。 これらの領域の性質として、既に確立されている従来の産業領域と比較して、成功する方法を理解するために有益な直接的なデータや成功法則がほとんど存在しないというものがある。その結果として、既に確立されている従来の産業領域(例: Webマーケティングの専門家、SaaSの開発者 )と比較して、PBFで成功するために必要なスキルや専門知識も現在曖昧である。そのため、Reapraが伴走する起業家には、長い時間軸で複雑性をマネージする意思をもち、PBFの中で永続的に漸進的に学習する意欲を取り入れ、発展させていくことが求められる。この文脈においてもっとも適している学習のスタイルが、実践しながら学習をする、すなわち経験学習であると私達は考えている。

学習に関する有名な理論

経験学習(LBD)について語る前に、人間の学習能力に関係する、いくつかの心理学的な概念を確認しておく。例えば、パターンベース学習と呼ばれる学習においては、人はパターンを視覚化し、そのパターンに慣れることを通して行動を変化させる。ビデオゲームにおいて何度か負けた敵を倒すために必要な動きのパターンを把握するなどだ。しかし、一度そのようなパターンに精通して特定の目的を達成してしまうと、人はさらに学習を続ける動機を失ってしまうだろう。例えば、幾つかの異なる通勤ルートを調べた上で、オフィスに通勤する最良のルートを見つけた場合は、いずれそれが日常的になり、更に学習を進めようとする意識は小さくなるだろう。

人に刺激を与えると、その刺激に対する行動敵反応が引き起こされ、それが人の学習方法に影響を与えるという刺激反応理論も存在する。古典的な例としてパブロフの犬があり、パブロフによってベルが鳴ることと食事の時間とが関連付けられるように条件付けられた犬は、最終的に食事が目の前にないのに、ベルの音が聞こえると唾液を分泌させるようになった。正の強化(特定の行動に報酬を与える)と負の強化(特定の行動を罰する)は、刺激と反応の間により一貫した行動を生み出すよう、脳をより条件付ける心理学的概念であり、これも学習に影響を可能性がある。繰り返される特定の刺激に対し、強く強化され条件付けられたマインドを持ってしまうと、人は将来的に、違った方法で反応するのを困難に感じる可能性が高く、学習が困難になる。例えば、恐怖症を克服するには、いくらかの再調整(条件付)や、治療が必要である。

また別の、関連する概念として、学習するきっかけとなるような過去の特定の記憶を結びつけるというエピソード記憶の使用がある。過去の出来事の記憶を頼りに学習の機会を作り出す人もいれば、エピソード記憶を思い出すことで想起されるストレスやトラウマから、学習機会が妨げられてしまう人もいる。こうしたように、心理学には総じて、学習能力に関連した、その他の概念や理論、反理論までもがたくさんある。 社会と共創し熟達し続けるためには、パターン学習を超越し、刺激反応理論やエピソード記憶などにも注意深くなりながら実践を進める必要がある。

経験学習サイクルと脳

経験学習サイクル(LBDサイクル)は、概念的に、循環型に図示できる。 経験学習サイクルの最初の段階は「インプット」、または人間による情報の知覚や感知である。それは、特定の出来事に基づいている場合(誰かが何かを言った、意思決定をした、虫に噛まれた、など)と基づいていない場合(帰宅途中に道を眺めている など)の両方を含む。

第二段階は、情報の「処理」である。それは、受動的な場合(幼少期の記憶に基づいた偏見や判断)と、能動的な場合(出来事を違った視点から理解するために、他者の立場から自身を省みる)とがある。

そして第三段階が、情報処理の結果としての意思決定や判断、または、学習機会を最適化するための「行動」である。前者の例としては、観察した結果に基づいて、より多くの学習時間を投資する決断などがあり、後者の例としては、学習した内容をテストするために何かを積極的に行動に移すなどがある。

第四段階は、行動や結果の学習によって脳をアップデートすることである。

以下では、より具体的な手順に分解し、各段階について述べていく。

第一段階:情報のインプット〜毎日驚きを見つけること〜

ここでは前提として、通常私たちは純粋に驚いている状況において最もよく学習するということを仮定する。例えば、衝撃的な何か(ex,交通事故を目撃する)や、規則通りでない事態(ex,通勤経路で2ヶ月間の工事)、または、誰かが伝えてくる、全く予期しない尋常でないニュース(ex,CTOが突然辞職し、全ての開発作業が滞る)などである。本書ではこれを「Eventful Learning Dots(ELD)」(意訳:重大な学習の起点)と呼んでいる。LBDサイクルを回すにあたり、起業家はオフィスの内外において、彼らの情報収集領域( their universe of data input points )を広げて、Eventful Learning Dots以外の情報も取り込んでいくことが求められる。

上記の例のような通常の驚き(ELD)から、我々が推奨する経験学習サイクルが生まれる派生することもある一方で、我々は自然な驚きがあまりないような出来事や行為も(学習対象として)考慮に入れることを推奨している。大きな刺激や出来事によって驚かされるのではなく、周囲のありふれた、そうでなければ通常無視されるような平凡な出来事も感知し、学習の起点として活用するような心構えを持っておく必要がある。言い換えると、学習機会を得るきっかけを、驚いたりトラウマを受けたり、とても感情的であったり不規則な何かを体験することに依存しては行けない。(= 学習するために、刺激を与えてくれる出来事に遭遇することを待っていてはいけない。)その代わり、主要な学習機会の手がかりとして、日常的にそうした驚きのある出来事を意図的に努力して探さなければならない。私たちは、これを、「Uneventful Learning Dots(和訳:些細な学習の起点)」と呼ぶ。

LBD初心者にとって、これは当然ながら難しいものである。一般的には、日常の規則的な出来事に注意を払うことは稀であるため、多くの人はこのUneventful Learning Dotsを学習の出発点として使用することに慣れていないだろう。著しく常軌を逸していない事象に、なぜ注意を払わなければ行けないのだろうか?と感じる方も多いだろう。例えば、いつも同じ電車で通勤している人は、その床の材質や、壁にあるバナー広告の配置などに気づかないかもしれない。LBD初心者は、周囲にある情報を収集する方法を意図的に努力してい見つけなければいけない。そのように振る舞うことに全く他の合理性がないように思えるとしても、最も関連性の低いであろう観察を驚きとして捉えてみる。自然に意外性のある出来事や、まったくそうでないものも含め、すべての類の出来事を、学習のために「意外である、驚きのある」ものとして捉えることができるようになった時、その人のLBDサイクルが回り始める。

第二段階:情報を処理する〜深い自己省察に取り組む〜

Eventful Learning Dotsという重大な驚きや、Uneventful Learning Dotsという些細な気付きに対する自身の初期反応を自己省察することが、2つ目のステップである。初期反応とは、原始的反応(ex,感情的および生理的反応)や、認知的反応(自伝的記憶や主観的な知識を利用して、観察に関する意見を解釈する)といったものがある。このような反応を注意深く観察するのは、LBD初心者にとっては困難に感じるかもしれないが、多く実践することによってより自然な行為に変わっていくだろう。反応を観察するだけでなく、一歩引いてみたり、自己の外側に出て内側をみたりして、出来事を学習機会として処理することで、メタ認知への取り組みが始まる。例えば、下記のような質問を自分自身に聞くことで自身の反応を分解することができるだろう。

・その出来事や情報を目撃したときに、頭の中に即座に浮かんだ考えは何だっただろうか? ・私は、過去の似たようなできごとにおいて、こうした考えをしたことがあっただろうか? ・こうした考えは、自身の過去の記憶や、体験と関係しているだろうか? ・この体験を通して、過去の誰かとのやりとりや、過去に試みたことを思い出したか? ・どんな感情を感じたか? ・考えることでその感情が生まれたか? ・過去にも同様に考えることで、同じような感情や感覚を生んだことがあったか? ・いつもなら、このような感情を感じるか?私の過去の経歴やできごとから、なぜこういった感情を持つのか説明がつくだろうか?

こうした質問の結果として生まれるメタ認知は、LBDサイクルを始めるにあたっての、非常に優れた土台となる。なぜなら、メタ認知を通して自己認識を高めることで、私たちは自分の衝動や感情や習慣などを、出来事を見て行動を変容させる行為とを引き離すことができるように鍛えられていくためである。Reapraが対象とする複雑性の高い領域(PBF)では実用的で根拠のある情報が不足しているがゆえ、ゼロから事業を立ち上ようとする起業家は葛藤することが多いだろう。メタに思考することができないと、生来の衝動や習慣に引き戻され、LBDサイクルを効果的に回すのが困難になってしまうことがある。

思考法(Cognitive tools)の使用について:

メタ思考に慣れてきたら、次は、経験を認識、理解、処理するために、下記のような思考法を活用することもできる。

A,多面的思考。

同じ事象に対して、違った見方を提供することが多面的思考である。つまり、多面的思考とは、同じ事象や問題を、より有意な視点からみることができる能力である。例えば、なぜある国の市民は、頑固で暴君的な振る舞いにも関わらずポピュリストの指導者を支持するのかについて、批判し、疑問に思うかもしれない。しかし、もしあなたが彼らの立場に立ったら、そうしたポピュリストの人はロビンフッドのように、虐げられた人や貧しい人の権利を擁護する傾向があるからだと理解できるかもしれない。一方で、そうした人々は、リベラルな民主主義の原則をなぞるだけの穏健派の指導者たちを、市民の声に耳を傾けない(感知しない)落伍者だと感じているかもしれない。

別のより簡単な例としては、複数の自動車事故の余波を目撃することである。自動車事故の前の車が故障して停車したと考える人もいれば、後ろの車が故障していたと推測する人もいれば、そこで道路を横切った歩行者を非難する人もいるだろう。多面的思考によって様々な人の立場に立って考えることで、一つのできごとに対して、様々な可能性を疑問視することが可能になる。

B,Para-Referential Thinking。

多面的思考と似ているものの、更に高次のレベルの思考として、Para-Referential Thinking、つまり視野(ユニバース)外から事象を見る思考を使うことができる。私たちが個々に思考する世界は、それ自体の規則や論理によって支配されているものである。とある事象を、自身の世界観の外側から捉えることができることは、とても強力な武器となる。Reapraチームが以前に作成したドキュメント「Pachinko Principle」では、ある人がミルクシェイクの店に長い行列ができているのを見て、高品質で美味しい商品が売られているからだと考えるといった事象を例に挙げている。本当の理由は、主に2つの以外な理由で父親たちが行列に並んでいたというものであった。①彼らは子供のためにミルクセーキを買い与えることに充足感を感じていた②ミルクシェイクは飲み終わるのに長い時間がかかるため、ラッシュアワーの帰宅ラッシュ時に飲むのに都合がいい。

C,アナロジー思考。

一見して関係のなさそうな出来事や経験、事象において、類似性を見出す能力は、とてつもない学習機会を生み出すことがある。例えば、アスリートの運動能力向上のための理論が、株式会社の経営者に対しても応用可能ではないかという仮説を立てることで、結果としてスポーツ心理学者をビジネスコーチとして求める声が生まれるという現象があった。こうした2つの異なるユニバースを結びつけ活用するという能力は、Reapraの定義する学習においては特に重要なものである。私たちが探索しているPBFという領域は、将来的な有り様と比較し足元の透明度が低いといった特徴を持つ。直接的な示唆につながったり、前処理された情報が非常に少ないこのような領域においては、問題を理解したり解決したりする際に、他の領域からのアナロジーを用いることが役に立つのである。 こういった思考法を駆使して各事象を処理することで、いくつかの結論や意見を形成し、行動に移すことができるようになる。

第三段階:意思決定と行動の実践

意思決定:

インプットを処理した後に来るのが、LBDサイクルの「実践」の部分である。ここでは、①すべての情報をどのように処理したかに基づいて意思決定を下し、②アクションを実行する必要が存在する。このステップは、処理した情報に基づき、仮説や意見を形成することを意味しており、そうして作られた仮説や意見は常に包括的で真実である必要はなく、行動につながる仮説といった程度のもので構わない。意思決定には、これらの行動を実行移す決意をすることも当然含まれている。情報を処理して何らかの意見を形成するが、実は経験学習へと変換される行動に移されていないことも多いため注意する。また、行動の内容が、仮説を検証するためのものになっているかどうかだったり、行動が大きな副作用を生まないように限りなく小さいサイズに切れているかどうかといった点も十分に注意する必要がある(この点に関しては、後述する「あの手この手」の部分でより深く解説する)

エフェクチュエーション:

LBDサイクルに関連する行動には、エフェクチュエーションという概念も含まれている。エフェクチュエーションを有する人は、完全な機会や約束された結果を待ったり、行動せずに新しい手段を想起することに時間を費やしたりせず、行動志向的で、既存の意味付けに基づき、積極的に主体性を発揮して実行に移すことができる。エフェクチュアルな人は、行動に制限がある状況下でさえも、行動する前に一つの可能性に絞るのではなく、いくつかの可能性を模索することにも長けている。エフェクチュエーションの対となる概念として、コーゼーションというものがある。コーぜーショナルが強い人は、事前に決定された目標を達成するための手段を積極的に選択・生成するといった思考を行いやすい。彼らには、明確な目標または事前に定義された行き先が必要であり、それを達成するためにできる限りを尽くす。例えば、コーぜーショナルな起業家は、特定の機能を備えた一つのプロダクトの開発を製作して、市場で見つけたペインを解消しようと決意し行動する。そうした起業家は過去に似たプラットフォームを構築した経験を有するエンジニアだったり、似たような製品を販売した経験のある営業部隊を雇うことをするだろう。また、その起業家は類似企業やその戦略を研究も注意深く行うだろう。PBFを切り開いていくという点においては、エフェクチュアルよりもコーぜーショナルな思考に重心がある起業家は困難に直面しやすい。なぜならPBFは大量の不確定要素が存在し、純粋なコーぜーショナルな人にとって、事前に決められた明確な目標や成功指標に依存しない戦略を計画・実行することは難しいことが多いためである。

したがって、少なくともゼロイチでビジネスを立ち上げるフェーズにおいて、時間をかけて経験学習することを通しPBFを探索していくという点ではよりエフェクチュアルな起業家が向いているとも言えるであろう。既存の手段(あるいは創造した新しい手段)を駆使し、情報を活用し、いくつかの結果を生み出すことができるため、このような起業家が、PBFにおいては理想と言えるのかもしれない。こうしてエフェクチュアルな思考法に一貫したアプローチを維持することは、PBFにおいて適切な戦略を構築していくのに適しているだけでなく、恣意的に形成した短期的目標に自身を縛られないようにするための鍵であるとも言えるだろう。

誤解のないようにいうと、起業家がコーぜーショナルであること自体が悪いというわけではない。完全にエフェクチュエーション(E)か、完全にコーゼーション(C)であるかという二項対立的な話ではなく、割合として思考の重心がどちらにあるかという観点で考えるのがよい。それぞれ人が異なるEとCのバランスを持っており、とある環境下ではCの割合が高いほうが好ましいことだってあるだろう(P事業開始から数年たち、PBFにおいてもある程度のデータが取れている状況、など)。一方で私達が定義するPBFの特に初期の段階においては、Eに重心のある起業家はそれを強みとして活かしやすいのではないか、と考えている。

第四段階:脳をアップデートする〜脳の進化〜

LBDサイクルを締めくくる最後のステップは、脳をアップデートすることである。LBDサイクルを継続的に回し続けるにあたり、LBD初心者は脳のアップデートに多くの努力とクリエイティビティを費やす必要があるだろう。進捗状況を測定するためのダッシュボードや他のトラッキングのツールを活用することも重要である。記憶力の改善(別のCCwS実践要素)に取り組むことで、過去に処理した事象を活用して将来的な助けとして役立てることができるだろう。よりLBD学習者が高度であればあるほど、意図的な活動を通して脳を更新するために必要な労力は少なくなるという仮説を我々は持っている。実際、LBD上級者は、睡眠中に潜在的に無意識的に、LBDサイクルを通じて脳を更新することができると考えられる。

次の図は、上記で要約したLBDサイクルを示しています。 images-chapter1/image3.png

これまでに説明した段階を経て、一つのLBDサイクルが完了し、より多くのサイクルを回し始める発射台として蓄積されることになる。そして、こうしたサイクルの積み重ねることが、よりよいLBD実践者として上達し、複雑性をマネージする能力を進化させることに繋がるのである。事実、こうしたLBDサイクルを長時間実践すること自体を、新しい産業を組み立てていく建設過程としてみなすこともできるだろう。

その他の学習スタイルとの関連性

当然、経験学習が学習の唯一の方法であるわけではない。我々はそれ以外の学習法を使用してならない、また学習において重要でないとも考えていない。むしろ、これらその他の学習方法とLBDとの関連性は、①個人の認知発達の段階や、心理的な状態、そして②個人が他の方法を活用してLBDと統合し、強化する度合いと関連しています。これらを高次のレベルで習得している人は、より高度な学習者であるといえるだろう。したがって、これらの学習方法とLBDとの関係性から、Reapraの学習アプローチをLBDを「中心とした」学習と表現している。この点で、LBDを中心とした学習では、LBD以外の学習法も考慮にいれますが、そうした方法論よりもより動的に知識を獲得するという意味合いで「実行すること」と「行動する」に重きをおいている。

Reapraでは経験学習を中心とした学習アプローチを推奨しているため、その他の学習方法だけに習熟していることは、我々が定義する「LBDを中心とした」学習の障害になる可能性もある。。例えば、主に過去の経験のみを通じて学習する起業家は、反復的な出来事のパターンを見ることで、それ故に先入観のある過去のデータに基づいて将来の意思決定を行うことがある。パターンベースの学習は、表面的な改善を行いながら経験学習をしているように見えるかもしれないが、盲点があることも多い。パターンベース学習の結果として得られる良い成果は、強いミッション・ビジョンとの紐づきがなく、LBDサイクルからくるメタ認知もないような、幸運や環境の産物である可能性さえある。その場合、学習は意味を失ってしまったり、前進的で永続的ではなくなってしまうだろう。

こうした前提に基づき、私たちは様々な人々の学習スタイルを理解し、さらなる改善に向けた示唆を与えることに取り組んでいる。。例えば、他の学習法のみに依存している人や、自身の長期ミッションと日々の行動とを結びつけることのできない人は、おそらくLBD初心者とみなされるだろう。対照的に、ユニバースが広く(オフィスの内外の情報に基づいて、学習し、行動を起こす)人や、LBDを改善するための補助としてのみ他の学習法を適切に使用することができている場合、より高度なLBDを中心とした学習者であるとみなすことができる。

「時間軸を飼いならす」とは

「時間軸を飼いならす」とは、様々な時間軸を考慮に入れながらその日の意思決定と行動を行う能力のことを指す。例えば、一回限りのプロジェクトや活動とはみなされないことを行うが、常に長期的なミッション・ビジョンを考慮に入れるなどです。それとは対照的に、時間軸を飼い馴らせていない人は、反射的に短期的な視点で日次的な意思決定を行い、長期的な目標と結びつかないという傾向がある。同様に、長期で明確なミッションや目標を定めている人は、それらの長期的な目標を達成することにつながることを、今日何もしていないかもしれない。これらはどちらも、時間軸を飼いならせているとは言えません。別のネガティブな例としては、より大きな長期的な目標を達成するためだけに今日の特定の行動を控えることで、自分の満足感を遅らせることを是とする例である。実際には、時間軸を飼い慣らしている人は、自身の 進捗を測るために、長期の目標達成に向けてのチェックポイントを確立している場合があり、今日のあらゆる小さな行動を、長期の目標達成のために巻き取ることができるのである。

ミッション・ビジョンによる導き 上記の時間軸の飼い慣らしの説明において触れたように、経験学習の能力は、方向性のない活動であってはいけない。したがって、理想的に行われるLBDとは、それぞれのミッション・ビジョンを考慮すべきである(個人、会社、双方の調整など)。今日の行動と将来的な目標とを結びけ、真社会と共創するためには、上記のような学習による成果は、ミッションにより先導され、ビジョンに当てて確認されなければならない。

あの手この手の経験学習

LBDサイクルを高速で回し、社会と共創するマスタリーの学習を進めるために、我々は「あの手この手」という概念を構築し、研究実践を進めてきた。この概念は2020年中頃から研究実践に着手し始めているものであり、引き続き構造理解を進めている段階であること留意しながら読み進めていただきたい。(詳細は第四章のストレッチオペレーションの部分で解説する) あの手この手(20年11月時点)とは、「将来為したい姿と現状の状態の差分を複数の時間軸から多面的に捉え、それらを埋めるための瞬時に実行できる施策を数多く想起し、いち早く実践する行動様式」のことを指す。 マスタリー(熟達)とは、「ライフミッションや将来なしたい姿に対して、熟達すること」を指す。そして、学習者は熟達に動機付き、日々手探りで歩みを進めようと試みる。しかし、「実際にどのように歩みを進めればいいのか」「何をすれば良いのか」に関しては「一旦やってみる」「やりながら改善する」という言葉が使われてきた。これに対して、どのように熟達するのか、その方法論を学習者の行動様式(学習の作法)で説明したものが「あの手この手」である。「あの手この手」(20年11月)とは、「将来為したい姿と現状の状態の差分を複数の時間軸から多面的に捉え、それらを埋めるための瞬時に実行できる施策を数多く想起し、いち早く実践する行動様式」である。これは、経験学習サイクルにおける特定のプロセスを指すわけではなく、潤滑油のように経験学習サイクルのサイクルを支援する行動様式である。複雑性の高い領域では、決まりきった答えが存在しなく、学校のテスト問題に答える等の事前予測的かつ定型的なソリューションを当てはめるような学習アプローチに優位性は存在しない。そのため、この領域における学習者は、あの手この手で経験学習サイクルを回すことが必要になる。 (あの手この手と経験学習の関連図:2020年9月16日セミナーより抜粋)

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あの手この手熟達者は、アイデア想起、構造理解、施策、実行というそれぞれの領域に置いて特徴を有している。まず、彼らは、なりたい姿に対してゼロベースでアイデアを発散することに長けている。ゼロベースでいるとは、自分のアイデンティティーやあらゆる囚われを意識し、できるだけ客観的に自分の差分に対して理解する行為である。しかし、アイデンティティーや囚われを完全に断ち切ることはできない。そのため、実際にそれらを意識し、できるだけ取り除くよう行動することが大切である。次に、あの手この手熟達者は、差分の構造理解に多面的である。多面的な構造理解とは、ASISとTOBEから紡ぎ出した差分を、具体・抽象化、横展開することにより多くの示唆を得ることである。具体的な行動として、(1)メタマルチ思考と(2)差分の分解が挙げられる。ここでは、(2)の差分の分解について詳しく記述する。ここで言う分解とは、その事象の前後左右、対となる項目を洗い出す行為であり、これを通して差分の中に潜む要素がより精緻化される。多回答とは、この構造分解から複数の回答をえることである。この回答とは具体的に、さらなる仮説、疑問、気づき、行動を含める。実際に学習を進める行動は施策はある。この施策とは、現状(2020年12月)クイックアクションとディープアクションの2つに分類することができる。クイックアクションとは、検証可能かどうかは一旦考えず、意図的にToBeに照らして有効と判断した瞬時に実行可能な行動のことを指す。これに対し、ディープアクションとはある期間内の目標にインパクトを与えると確からしい行動を指す。いち早くの実行とは、文字通り想起したクイックアクションを今、明日に5分から10分をかけて素早く行えるかどうかである。初学者は、あの手この手において熟達を目指す場合、まず上記のあの手この手熟達者の特徴を習得することがマスタリー進捗への足場掛けになる。

LBDとあの手この手の関係性:

あの手この手とは、経験学習サイクル内における特定のプロセスを指すわけではなく、潤滑油のように経験学習サイクルの回転を支援するアプローチである。そのため、あの手この手熟達者は経験学習サイクルを高頻度で質高く回すことが可能であると考えている。


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